番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(1)

 また「都関良平の物語」に戻ってくるかもしれませんが、前回の号で一応『第6章 振り向けばジャンケット』を「了」とします。

 COVID19による壊滅的な影響で、カジノ業界そのものの当面の存続が危ぶまれています。

 カジノ業界の現代史を振り返る意味を込め、「番外編 6」ではしばらくの間、これまでわたしがゲーミング・フロアで見知ってきた実在の人々を材料として、その「肖像画」を主に描いてみよう、と考えます。

 対象の性格上、「ファクト」プラス「フィクション」イコール「ファクション」の記述方式を採用しました。

 摘発された重大な経済事件の被告になった人や、未摘発ながらも明らかに犯罪にかかわった人たちがいました。よって実在の人物を扱っていても「ファクション」の記述形式にしないと、わたしの手に余る厄介な事情だらけの「物語」となってしまうのではなかろうか、と危惧(きぐ)したからです。

 しかたない場合で実名の登場もありますが、ほとんどの登場人物・所属等を仮名としてあります。

 重要なので、繰り返します。「番外編6」での記述は、ファクト(事実)とフィクション(つくり話)が渾然一体となった「ファクション」です。よろしくご了解ください。

◆第1章 第1部 待てよ潤太郎

 わたしは中学生と高校生の頃を、六本木で育っている。

 現在では六本木といえば、六本木ヒルズや東京ミッドタウンで知られるように、昼間はメディア・広告やIT関係の華やかなビジネス、および富裕おばさん層のショッピングや「文化活動」で賑わい、夜の帳(とばり)が降りれば大手町や丸の内のビジネス界隈からも人が流れ込む、ネオン綺羅びく繁華街、と思う人たちが多いかもしれない。 

 しかしわたしが育った頃のこの街は、ちょっと驚くくらい静かな異世界だった。

 1960年代前半であるから、まだ首都高速も(中学生のころには)地下鉄も通っていない。

 六本木が、「陸の孤島」と呼ばれた時代だった。

 車がないと、このエリアを自在に動けなかった。そして当時、自家用車などをもっているのは、ほんの一握りの裕福な人たちだけだった。それで、「陸の孤島」なわけである。

 新橋駅と渋谷駅を結ぶ都営の路面電車(「都電」)が、六本木通りをのどかに走っていた。

 都電の愛称は、「ちんちん電車」だ。

 前を行くオート三輪とかリアカーとかヒトだとか、あるいはイヌネコたちに警報を発するため、ベルを「ちんちん」と鳴らしながら、走っていたからそう呼ばれた。男性器との関係はない。

 現在では渋谷駅ハチ公前と同じくらい有名な待ち合わせ場所となった『アマンド』も、当時は『デミタス』という名の品のいいコーヒー・ショップだった。

 想い返すと、六本木交差点周辺に俳優座劇場とか誠志堂の書店はあったのだが、ゴトウ花店は街角の切り花屋で、丸正は芋洗坂(いもあらいざか)だけに面した間口の狭い八百屋である。

 六本木通りの南東側は、日が落ちれば真っ暗闇となる一帯だった。

 どれぐらい真っ暗闇となるのか? わたしの異性との性的な初体験が、六本木交差点信号すぐ横の屋外(笑)だったことで、察しがつくだろう。(つづく)

⇒続きはこちら 番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(2)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。