番外編6 闘った奴らの肖像:第1章 第1部 待てよ潤太郎(9)

 格安航空券などない。いやあったかもしれないが、その購入の仕方を知らなかった。

 サンフランシスコ行きの航空券に60万円近く支払ったのを覚えている。

 ついでだが、当時のダットサン・サニーは、新車でもサンフランシスコの急坂が登れなかった(笑)。現在では、信じられない人たちも多かろう。

 あの頃のわたしは、航空券購入代金を含めれば、400万円弱の大金をもっていたことになる。

 21歳の若造が、なんでそんな、新卒の月給の100倍以上の大金を握っていたのか。

 賭博からのアガリだった(笑)。

 ちょっと話は逸れるが、ゲーム賭博というのは基本的に負けるものだ、と当時のわたしは考えていたし、現在でもその考えは変わっていない。

 そりゃそうだ。当たり前に考えれば、どうしてもそうなる。

 たとえば『バッタまき』なら、勝ち金の10%がテラとして、胴元に削られる。

 勘違いしている人たちも多いのだが、これがいわゆる(1割ではなく)「5分デラ」だ。

 (「擦り合わせ」の賭博なので)盆上に載ったコマの総量の5分が「テラ」として召し上げられるので、そう呼ばれた。

 同じ『バッタまき』でも、「ブタ半」のルールなら、控除率はもっと高くなってしまう。

 だから、長い間打ち続ければ、側師(がわし=打ち手)は必ず負けるのがゲーム賭博である。

 汗と涙の結晶である大切なおカネが、白いさらしが張られた盆上であっさりと溶けていく。

 つらい。悲しい。やるせない。

 ゲーム賭博というのは、夢がなければ怖くてとても手を出せないのだが、同時に夢を見てはいけない。

「必ず負ける」という現実を了承し、納得し、了解する。

 戦術や戦略は、そこを出発点とするのである。

 ところが多くの打ち手は、どうやらそうは考えないらしい。

 だいたいは、毎回素寒貧(すかんぴん)となるまで、博奕を打ち続ける。

 たまに勝っても、次回にその金を持ち込む。

 また勝てば、そのカネも持ち込む。

 タネ銭が増えるだけだ。夢を見ているのである。

 そして、負ける。いつか必ずきっと負けてしまう。

 なぜか?

 ゲーム賭博とは、そういうものなのだから。

 そういう仕掛けがあり出来上がっているのがゲーム賭博だから、と申し上げるしかない。

 一方わたしは、ゲーム賭博とは負けるものだ、と心得ていた。

 だから足腰は強靭だ。現実を了承し納得して、夢を見ない。

 日に3万円ほどを携えて、麻雀荘に顔を出した。

 当時の大企業の新卒の手取り月給分以上に匹敵する金額である。

 麻雀は技術が絡むゲームなので、1万円・2万円と勝つことが多かった。

 そのカネを握り、アトサキの盆に「出勤」したのである。

 麻雀で負けた日は、「休暇」だった。

 賭場(どば)に顔を出さない。

 誘ってくれる人があり、18歳から20歳にかけて、当時は極めて好況だった出版業界の末席をわたしは汚したのだが、それでも給料なんかアテにしたことはなかった。

 かなり派手だった生活の資金を、賭博ですべて捻出していたのである。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。