小池百合子都知事vs「東京のムラの掟」(1)――組織的支援を受けなかったゆえのフリーハンド

立ち食いステーキでスタミナをつける小池百合子都知事

日本で一番忙しい人物は?

 
 日本で一番忙しい人物は誰か?

 分刻みで面会者が訪れ、その合間に報告を受け意思決定を行い、週末には地方出張をこなす。時には外遊に赴き、首脳外交を行う。このように日本で一番忙しい人物は、歴代の内閣総理大臣(首相)といえよう。

 それに勝るとも劣らない人物が、今年(平成28年)の8月に「誕生」した。小池百合子東京都知事である。小池知事誕生の舞台裏を少し復習してみよう。

 小池氏は7月31日の都知事選で、自民・公明党などの「組織的支援」を受けた増田寛也氏(前岩手県知事)や、同じく民進・共産党などの組織的支援を受けた鳥越俊太郎氏(ジャーナリスト)を大きく引き離し、得票率44.5%で圧勝した。

 ちなみに、増田氏は27.4%、鳥越氏は20.6%の得票率である。

 もともと自民党の衆議院議員であった小池氏が、6月29日に電撃的に記者会見を行い、都知事選への立候補を表明したのは、彼女なりの覚悟があってのことである。

 その深謀遠慮を読み切れなかった当時の自民党東京都支部連合会(以下、自民党都連)の会長、石原伸晃氏(経済再生大臣)は、「事前に相談がなかった」としてテレビカメラの前で激怒してみせた。

 自民党都連の会長と言っても、彼がリーダーシップを発揮できる立場にはなく、実質的には、古参の自民党都議会議員たちに「東京のムラの掟」に反するとして突き上げられた結果ゆえのパフォーマンスであり、焦りの表情が色濃くにじんでいた。

東京都では国会議員より、都議である自民党都連の幹事長が格上


 一般的には、国会議員が都議会議員や道府県議会議員よりも権限的に上位に位置すると思われているが、都道府県によっては逆転しているエリアがある。

 東京都などはその典型的な例であり、地方自治と言えば聞こえはいいが、東京都知事選挙や東京都議会議員選挙等における立候補者の公認権を自民党都連の「ムラ長(おさ)」が握っている。

 自民党本部の総裁や幹事長でさえ、そのムラの掟やムラ長の意向に逆らえない。さらに、古参の都議会議員によって作り上げられてきたムラの掟に反する者は、「村八分」にされるという江戸時代さながらの古典的な政治が行われてきた。

 小池百合子氏や、小池陣営の知事選の責任者であった野田数氏(元小池氏の秘書、また元東京都議、現東京都知事政務担当特別秘書)は、こうした事情を熟知しており、ムラ社会を変えることが都政改革の第一歩と認識していた。

 その時、小池氏は自民党の衆議院議員であったため、都知事選への立候補表明を行った後の7月5日に、「念のため」に自民党都連に推薦願を出した。

 しかし、古参の自民党都議会議員やムラ長たちは、平成19年8月、小池氏が防衛大臣に就任して間もない時に、防衛事務次官に長らく君臨した守屋武昌氏を更迭した「市ヶ谷の55日」の記憶が強く、防衛省の人事同様に、土足で東京都に入られてはたまらないという危惧感があった。

小池氏は、自民党への推薦願を颯爽と撤回


 「我々に恭順の意を表明せず、スタンドプレーが目立つ小池氏にムラの運営を任せられない」とばかりに、着々と前岩手県知事である増田寛也氏擁立の地ならしを進めて行き、増田氏は7月9日までに東京都内の区市町村のほとんどの首長からの支持を取り付けていた。参議院選挙が終わった7月10日、小池氏は颯爽(さっそう)と推薦願の撤回を行った。その40分後に、増田寛也氏は自民党都連に推薦願を出した。

 実際の都知事選は7月14日に公示され、2週間にわたり選挙戦が行われ、そこでも様々なドラマが展開されたが、「ブラックボックス」化してよく見えない都政に対して、小池氏のムラの掟を打ち破る政策と選挙戦術は、有権者である都民に大きな期待を抱かせ、大差をつけて都知事に就任した。

 自民党都連の推薦を受けずに勝利した小池氏は、都政運営にフリーハンドを得た。この意義は大きい。こうして、小池知事が「アンシャンレジーム」(旧来の社会体制)と呼ぶ古参の自民党都議とのガチンコ対決の火ぶたが切って落とされたのである。

 今般、小池氏の政治勘と思考法、都知事選の舞台裏、さらに今日に至る「都政大改革」の一連の流れの本質を、前述の野田数氏がリアルに綴った本が発刊された。『都政大改革――小池百合子知事&「チーム小池」の戦い』という新書だ。

 本連載の次回以降も、その本も参考にしながら、都政大改革に関して分析していきたい。(続く)

文責=育鵬社編集部M

都政大改革-小池百合子知事&「チーム小池」の戦い

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