中学校歴史教科書で「聖徳太子」が復活した!(3)――『日本書紀』では「厩戸皇子」、「厩戸王」は近年の造語

中学校歴史教科書での聖徳太子の記述(育鵬社版、平成27年3月31日検定済)

「厩戸王」なる用語は、近年の造語


 では文科省が、理解が得にくい厩戸王(聖徳太子)の表記を打ち出してきた本当の理由は何だったのだろうか。

 一時、「聖徳太子不在説」を唱える新説(奇説)もあったようだが、歴史学界でも定着していない。

 しかし一方で、推古天皇の摂政である聖徳太子(用明天皇の皇子、574~622)のさまざまな事跡、例えば、冠位十二階や十七条の憲法、遣隋使の派遣、仏教の重視などに関し、近年の研究では、聖徳太子一人を主語として描くよりは、蘇我馬子(?~626)との共同による政治ととらえる傾向があり、事実、中学校の歴史教科書においても、そのニュアンスで記述されている。

 そのため、文科省も歴史学界の近年の研究成果を受け、聖徳太子の位置づけを相対化させたい意図があったのだろうか。

 歴史学界には、歴史記述に「聖【ひじり】の徳【とく】」といった「尊称」を用いることを嫌う傾向があるように思える。さらに厩戸王と記せば、いかにも科学的な記述だと思っているのではないか。

 その背景を客観的に説明してくれている書籍があるので以下、引用してみたい。

 『日本書紀』には「厩戸皇子」とあるが、推古朝に「天皇」号とかかわる「皇子」という表記が使われたかどうかは不明であるとして、「厩戸王」と表記する教科書もある。(『ここまで変わった日本史教科書』吉川弘文館、平成28年9月発行より)

 この文章をかみ砕いて言えば、次の通りである。日本書紀の完成は720年で、天皇という称号(天皇号)がいつ定まったかについては、7世紀前期、あるいは7世紀末とするいくつかの説があり、仮に推古天皇の時代(在位は592~628)に定まっていなければ、「厩戸皇子」の皇子という用語は不適切として、歴史学界の一部には、『日本書紀』では用いられていない造語としての「厩戸王」という言葉を用いている……という背景説明である。

 確かに、高校でシェアの高い日本史教科書では、厩戸王(聖徳太子)という表記になっている。

 しかし、少なくとも日本書紀における推古天皇に関する記述は、史料としての信憑性が高いとされ(例えば山田英雄著『日本書紀の世界』講談社学術文庫、154ページ)、日本書紀の記載通り、()書きは厩戸皇子の表記で良いというのが、多くの中学校歴史教科書編集の立場ではないかと思われる。

奈良時代の漢詩集『懐風藻』には「聖徳太子」の名前が


 奈良時代の751年に完成した漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』の序文には、「聖徳太子」の名前がしっかりと記述されている。
 
 このように、聖徳太子は古来より一貫して用いられてきた名称であり、厩戸王なる造語の言葉が使われ始めたのは、近年の歴史学界の中での話であり、国民に定着していないように思える。

 ここで強調したいことは、義務教育である小・中学校の歴史教育にあっては、歴史学界の一部の研究をそのままコピーすることではないという点である。

 歴史事実の間違いがあるならば、それは当然の如く正されなければならない。しかし、古来より使われてきた聖徳太子という歴史的な名称を、一部の歴史学界の流行で後ろに追いやるようなことをしてはならないであろう。(続く)

(文責=育鵬社編集部M)

もう一度学ぶ日本史

聖徳太子も掲載。実際の中学校用歴史教科書の再編集で読みやすい。大人の学び直しに最適。





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