世界文化遺産から読み解く世界史【第7回:官能的な神々――エローラ石窟群】
なぜインドにヒンドゥー教が根づいたのか
ヒンドゥー教が仏教よりもインドの風土に適していることが、エローラ石窟を見るとわかります。 シヴァ神や、火の神、あるいは自然神を中心とした信仰だということは、自然を肯定する神道と共通するものがあります。しかし、同じ自然を肯定するものでも、日本とインドの違いは、日本は自然の厳しさ、自然の巨大さというものも受け入れるわけですが、インドの場合は、それを人間の欲望を抑える方向で受け入れてはいないということです。 エローラ石窟は、アウランガバードという町の西北約30キロメートルのところにあります。南北2キロメートルにわたって、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の三つの宗教が石窟寺院に祭られている大石窟群です。これも遺跡です。 7世紀から9世紀につくられたものです。その中の仏教窟は、インドにおける仏教石窟の最後の作とされています。しかし、ここで重要なのはやはり、ヒンドゥー教の石窟です。 巨大なエローラ石窟の中央に位置する第16石窟に、カイラーサナータ寺院があります。8世紀から9世紀にかけてつくられたものです。ヒンドゥー教の主神ともいえるシヴァ神を祭っています。 寺院そのものが一つの岩でできています。幅45メートル、奥行き85メートルの岩山を上から掘り進めて、高さ30メートルの寺院や回廊、祠堂、楼門などが彫られているのです。その規模の大きさは、実際に見てみると驚くべきものです。そこにはインドの2大叙事詩である、ヒンドゥー教の聖典『マハーバーラタ』や、『ラーマーヤナ』の物語が描かれていて、まさにヒンドゥー教美術の宝庫になっています。人間の欲望・セックスを肯定する人間観
その特徴はやはり官能的であることです。そこに描かれた神々は、人間の官能性を肯定していて、むしろそれがヒンドゥー教の造形美術の基本になっているのです。このエロティシズム、肉体性の肯定ということが、インドの人にとっていかに重要であるかということがわかります。それは仏教とは明らかに違う人間の捉え方であるといえます。セックスそのものを肯定するのです。セックスしている姿そのものを彫刻にしているのです。 ですから、仏教とヒンドゥー教の違いが、日本における仏教の受容と浸透、インドにおける仏教の廃棄、消滅という対照性を浮かび上がらせるのです。ここに、アジアの宗教の2つの極を見るわけです。 日本は、もともと日本人が持っていた神道的な宗教観の上に、仏教を取り入れました。それは共同体の宗教としての神道というベースがしっかりあるところに、個人の欲望や苦しみ、煩悩を救うために、仏教を取り入れたのでした。聖徳太子がそれを推進しました。 一方、インドは、共同宗教であるヒンドゥー教が、人間の欲望を肯定しているために、仏教を受け入れることができないのです。これは日本のように春夏秋冬があって、寒暖の変化があるのに比べると、インドは常夏のような、非常に暑い国であるという自然環境の違いが大きいわけです。そして、ヒンドゥー教の官能性、肉体性が、仏教を拒んでいるのです。 ここにインドと日本の違い、仏教を受け入れた国と、拒んだ国の違いがあるのです。仏教を生んだ国が仏教を捨てて、一方、日本という極東の島にその精神が現代まで息づいているという、その根本には、風土という問題があるのです。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』(最新刊=9月2日発売)ほか多数。
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