子どもに言えない! 目に余る大人たちの不祥事に齋藤孝氏「大人こそ道徳が必要です」

連日テレビをにぎわせる大人たちの不祥事

 人間、誰しも人生において大なり小なり過ちを犯すものだが、とりわけ政治の世界における政治家や官僚の「非道徳的」な振る舞いは、国民の注目を集めるものである。  最近では、大阪にある学校法人との国有地取引をめぐる財務省の決裁文書の改ざん問題があった。また、前財務事務次官による女性記者に対するセクハラ騒動もあった。  さらに、日本の教育行政をあずかる文部科学省では、私立大学支援事業をめぐる汚職事件で、ある医学系大学に便宜を図る見返りとして、その大学を受験した省幹部の子どもを不正に合格させてもらっていた。  また、人々に夢を与えるはずのスポーツの世界でも、女子レスリング界のパワハラ、大学アメフト界の反則指示、アマチュアボクシング界の不正疑惑、バスケットボール男子日本代表の不祥事、そして今の女子体操界の騒動と、子どもたちの夢や希望や憧れを裏切るかのような問題が続いている。  テレビなどでもおなじみの齋藤孝氏(明治大学文学部教授)は、最新刊『大人の道徳』で、「道徳が教科化され、平成30年度から小学校で、31年度から中学校で全面実施されることになりましたが、子どもたちに道徳を学ばせる前に、まず自分たちが学ぶべき」と厳しく指摘する。  キレイごとでも説教でもなく、個人が無秩序に振る舞い、SNSで私的な鬱憤が拡散される現代を生きる大人こそ、道徳が必要であるという齋藤氏の最新刊より、「はじめに」の部分を紹介しよう。

『大人の道徳』(扶桑社新書)

大人たちにこそ「道徳」は必須の〝能力〟

 本書は「道徳」についての本です。  みなさんは、「道徳」と聞いて、どのようなイメージを持たれるでしょうか? 「堅苦しいキレイごと」とか「何か古臭くて、説教じみたよく分からないもの」と思われるかもしれません。  たしかに、「道徳」という語源は古く、今から2500年ほど前、中国の孔子(紀元前551~479年)が開祖とされる「儒学」に行き着きます。ただし厳密に言うと、孔子の言行録をまとめた『論語』で使われているのは、「道」と「徳」という単語であり、「道徳」ではありません。  この2つの単語を合わせた「道徳」という言葉を好んで使い始めたのは、江戸時代の日本の儒学者たちでした。さらに明治に入ると、英語のmoralの訳語として採用されることで、徐々に日本人に浸透していき、戦後、学校教育に設置される「道徳の時間」につながっていきます。  またその意味ですが、一般的に「道」とは、「人がなすべき生き方」のことです。そしてこの「道」を、「まっすぐに歩んでいく」ために必要なものが「徳」になります。  具体的には、「相手を思いやる心」だったり、「その社会が設定しているルールを守る意思」だったりします。  これを合わせたものが「道徳」ということですが、「つまりは、『いい人になりましょう!』ってことなんでしょ?」と納得してみても、やはり、もやもやしたものが残ると思います。  古いようで新しい、分かるようで分からない。  これが「道徳」です。  小・中学校で道徳が教科化されますが、私は今の大人たちにこそ、「道徳」は必須の〝能力〟だと思っています。よくビジネスパーソンに必要なスキルとして、「IT・会計・英語」の3つが挙げられたりしますが、私はここに、「道徳」も入れたい! と本気で思っているほどです。  インターネットが世界中に張りめぐらされて、すべての情報が一瞬のうちに共有されるグローバル社会において、人間関係はどんどん多様に、そして複雑になっています。本来人を幸せにする技術が、人をおとしめたり、誤解を生んだり、孤立化させる要因にすらなっています。  こうした閉塞感のただよう社会を生き抜くために必要なのが、本当の意味での「道徳」なのです。  本書を『大人の道徳』と題した意味もここにあります。キレイごとでも説教でもない本当の「道徳」を学んでいただくことによって、みなさんの仕事や日常生活での悩みや不安が少しでも解消されたり、日々心穏やかに過ごすための心構えのヒントを得られたりしていただければ、筆者としてはこれに勝る喜びはありません。  みなさん1人ひとりの生活が豊かになることによって、ひいては日本社会がより良くなってくれることを願います。 <文/日刊SPA!取材班> 【齋藤孝】 明治大学文学部教授。昭和35(1960)年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大大学院教育学研究科博士課程等を経て現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。著書に『現実を動かす会話力』『声に出して使いたい大和言葉』(以上扶桑社)など多数。平成30(2018)年9月2日、話題の新刊『大人の道徳』を上梓。
大人の道徳

職場、家庭、SNS……社会がなんかギスギスしているのは、人と人との間に「道徳」というクッションが欠けているからである。 道徳は先人たちが伝えてくれた精神文化と身体文化の結晶である。 仕事や生活の悩みや不安が解消されたり、穏やかに過ごすヒントが得られる、キレイごとでも説教でもない「実践的道徳論」。

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