共産主義支配100年! ウクライナの悲劇

<文/グレンコ・アンドリー『ウクライナ人だから気づいた日本の危機』連載第2回>

ロシア帝国から独立するも、すぐにソ連に組み込まれたウクライナ

ウクライナとその周辺(Google Mapsより)

 さて、今回は、日本とウクライナが受けた共産主義の被害について具体的に述べたい。まずはウクライナから。

ウクライナの略史(外務省ウェブサイト)

 1917年の時点ではウクライナはロシア帝国とオーストリア=ハンガリー帝国に支配されていた。本来、この両帝国崩壊後に、ウクライナは独立を果たすはずであった。  なぜなら、当時の世界の流れでは、複数の民族を支配している帝国が崩壊する時、その諸民族が独立し、民族国家を作るからだ。その流れによって、第一次世界大戦後、ヨーロッパではポーランド、チェコスロバキア、フィンランド、リトアニア、ラトビア、エストニアが独立し、スロベニア、ボスニアとクロアチアが南スラブ連合であったユーゴスラビアに入った。この諸民族の解放独立の流れにはウクライナもあった。  実際、1918年にウクライナは独立した。しかし、直ぐにボリシェビキの赤軍はウクライナを攻めこんだのだ。1918年の3月にドイツ帝国とソビエト・ロシアの講和条約によって、赤軍はウクライナから撤退し、ウクライナの独立を認めた。  しかしドイツ帝国の降伏、更には崩壊の後、ボリシェビキはウクライナの独立を認めるという約束を破り、1919年から再びウクライナを攻撃した。そして最終的にウクライナ西部以外のウクライナを占領し、新しく作ったソビエト連邦に組み込んだ。ウクライナは赤軍と戦争していたが圧倒的な戦力の差のため、敗北してしまった。  敗北の最も大きな理由は戦力の差であるが、それだけではない。ボリシェビキのプロパガンディストが大量にウクライナの中に入り込み、農民層や労働層を洗脳したのだ。当然、独立したばかりのウクライナはこのような宣伝戦に対応できず、ウクライナ国内にボリシェビキへの協力者も出現した。また、指導層の中には保守的な国家主義者だけではなく、お花畑的な社会民主主義者も相当数存在しており、国家の基本理念をめぐって対立していた。そのため、強い民族国家を築くことは不可能だった。  つまり、国内が一致団結しなかったため、民族が一丸となり赤い化け物に対抗することが出来なかったのだ。

過酷だったソ連の支配

 ソ連の支配はウクライナの歴史上、最も過酷なものだった。それまで、ウクライナはポーランドやロシア帝国に支配されていた。ロシア帝国の支配も惨憺たるものだったが、共産主義国家ソ連の支配は想像を絶するほど残虐極まりなかった。  形式上、ソ連は法的手続きを経て成立された。共産主義者の狡賢さはここにおいても明らかである。赤軍のウクライナ占領後、ソビエト・ロシアがウクライナの併合を宣言したのではない。共産主義者は傀儡国家ソビエト・ウクライナの成立を宣言し、そのソビエト・ウクライナがソビエト・ロシアとの連邦を「希望した」という形をとったのだ。  またソ連では、階級の廃止や平等が謳われ、後にできたソ連憲法では、表現の自由、集会の自由が明記された。勿論これが出鱈目であることは誰にでも分かるだろう。  そして、ソ連は形式上構成国の民族文化や伝統、言語の自由な発展の承認を公式に宣伝していた。法律や国家の宣伝だけを見れば、ソ連は自由と平等の楽園のように思える。しかし現実は宣伝されたものと真逆だった。表現・集会の自由など当然存在せず、反対派は徹底的に排除された。また、それぞれの民族の伝統文化や言語の自由な発展が形式上認められていたが、それが民族意識の上昇に繋がると判断されると、徹底的に弾圧を加えた。ウクライナの場合はまさにそうだった。  それ故、1920年前半にウクライナ語の使用が認められても、言葉の働きが民族アイデンティティの上昇や民族の覚醒と連関すると考えられ、次第にウクライナ語に対し、ソ連共産党幹部が警戒するようになった。

農民層を潰せ! 「人工飢餓」による大量殺戮

 全体的にウクライナ人が民族意識を抱くようになることを共産党は非常に恐れていた。何故なら、ソ連を構成していた民族の中でウクライナ人はロシア人の次に多く存在していたからである。また、立地的に重要で、資源の豊かなウクライナが離脱すれば、ソ連が成り立たなくなる。したがって、ソ連にとって全ての構成国の中でウクライナを失うことは最大の損失を意味していた。  実際、1920年代にウクライナで頻繁にソ連支配に対する蜂起が起きていた。ウクライナ人は自由のない全体主義体制や、これまでの生活様式を破壊する農業の集団化に対して反発し、立ち上がっていた。  蜂起を弾圧するために毎回、ソ連当局が治安部隊を出動させなければならず、ソ連からすれば蜂起は非常に厄介なものだった。そしてウクライナのこういった状況を共産党幹部は恐れていた。これについて、スターリンは有名な言葉を残している。即ち、「このままでは我々はウクライナを失うかもしれない」と。  だから共産党幹部はウクライナの民族アイデンティティを徹底的に潰すことにした。そのために、そのアイデンティティを最も色濃く保っていた農民層の大量虐殺を起こした。この農民層を潰せば、ウクライナ民族を骨抜きにできると思っていたのだ。そして、残されたウクライナ人を「ソ連人」として作り変えることが最終目的であった。  農民を大量に殺すために、ソ連当局は農民から全ての食料を没収した。その口実として、都市部で食料が足りない、或いは輸出するために食料が必要だと言っていた。しかし、文字通り一切の食料を没収されたので、明らかに農民を餓死にさせることが目的だったと言えよう。しかも食料がなくなった地域から誰も逃亡せぬよう、道路も封鎖された。  ソ連はこのような人工飢餓やその規模の隠蔽を企てたため、ソ連公式の見解では、不作のため限定的な飢餓が発生したとされている。人工飢餓の犠牲者数はまだ確定されていないが、当時の人口統計や出生率などの分析によれば、飢餓で200万人から600万人が死亡したと推測されている。

教育とプロパガンダでソ連への愛国心を強制

 この人工飢餓以外にも、スターリン時代にはウクライナのエリート層が排除された。独立を意識していたウクライナの運動家、作家や芸術家は処刑、或いは自殺に追い込まれた。  このスターリンの大虐殺のため、民族の芯が取り除かれ、アイデンティティも殆ど喪失されることとなった。ソ連は残ったウクライナ人を洗脳し、「ソ連人」として、そのアイデンティティを改変しようとした。  第二次世界大戦の際、ウクライナは独ソ戦争の戦場になり、再び大打撃を受けた。ウクライナ人の4人に1人は死亡してしまった。ウクライナ人は大量にソ連の赤軍に動員され、ドイツ軍との戦争に駆り出された。ソ連軍は焦土作戦を取り、ウクライナを焼け野原にしてしまった。  スターリンの死亡後、大量殺戮は減少したが、民族の弾圧や徹底的な洗脳はソ連崩壊まで絶え間なく続いていた。ソ連が行った教育では、ソ連という「祖国」に対して愛国心を持たなければならなかった。  しかし自国、つまりウクライナに対して愛国心を持つことは絶対に許されなかった。自国に対して愛国心を持つ者はブルジョワジー、ナショナリストやファシストの残党としてレッテルを貼られ、徹底的に弾圧された。またソ連人であることを誇りに思うよう促され、ウクライナ人であることに対して、誇りを持つことは禁止された。このような意識構造を作り上げるために、ソ連の教育や国家プロパガンダは全力を尽くした。

独立後も解けない洗脳

 ソ連崩壊によりウクライナは独立を果たしたが、ソ連による洗脳の呪縛から突如解放されることはなかった。独立しても国民の大多数がソ連の常識を引き摺っていた。その常識は、ソ連が偉大な祖国であり、ウクライナの独立にはあまり価値がないというものであった。また、ソ連時代の宗主国であるロシアは友好国、姉妹国であるという認識も根強く残った。  ウクライナの指導層の殆どはソ連共産党の元党員だったので彼等は国家発展に尽力せず、私腹を肥やすことだけに専念した。そしてソ連の常識を引きずっている国民はこのような人間を何回も選挙で当選させたのだ。  このように、ソ連の呪縛が愛国心のない国民と指導者を生み出し、ウクライナの独立後の発展は非常に困難となった。この状況が次の被害の原因となった。

2014年、再びロシアの侵略

 発展に至ることなく、弱小国家となったウクライナは2014年にロシアに侵略された。ロシアの侵略による被害は、完全に共産主義が原因である。もし、以前にウクライナが共産主義による洗脳を受けず、健全な国家発展を遂げていたら、ロシアの攻撃は不可能だったであろう。  結局、現在でも被害を被っているウクライナは、既に100年以上、1917年から2018年に至るまで連綿と共産主義からの大打撃を受けていると言える。 【グレンコ・アンドリー】 1987年ウクライナ・キエフ生まれ。2010~11年、早稲田大学へ語学留学で初来日。2013年より京都大学へ留学、修士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程で本居宣長について研究中。京都在住。2016年、アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」懸賞論文学生部門で「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと――真の平和を築くために何が重要なのか」で優秀賞受賞。
1987年ウクライナ・キエフ生まれ。2010~11年、早稲田大学へ語学留学で初来日。2013年より京都大学へ留学、修士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程で本居宣長について研究中。京都在住。2016年、アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」懸賞論文学生部門で「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと――真の平和を築くために何が重要なのか」で優秀賞受賞。月刊情報誌 『明日への選択 平成30年10月号』(日本政策研究センター)に「日本人に考えてほしいウクライナの悲劇」が掲載。
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