チェルノブイリに学ぶ、日本が原発の稼働を止める必要がないこれだけの理由

<文/グレンコ・アンドリー『ウクライナ人だから気づいた日本の危機』連載第7回>

「原発は危ない」は真実か?


新安全閉じ込め構造物に覆われたチェルノブイリ原発四号機と筆者


 筆者が2018年3月11日にチェルノブイリ立入禁止区域見学ツアーに参加した模様を、連載第5回、第6回で報告してきた。今回は、それに参加して私が思ったこと、考えたことについて述べたい。

 まず、原子力の危険性について考えよう。「原発は危ない」とみんな言うが、私たちの生活を見回してみてほしい。私たちはすでに慣れてしまっているので気づかないが、あらためて身の回りを見て見ると、危ないものだらけではないだろうか。

 自動車に乗れば、事故で死ぬかもしれない。電化製品に触れたら感電死するかもしれない。街を歩いたら、上からものが落ちて、死ぬかもしれない。橋を渡れば、水に落ちて死ぬかもしれない。自宅でいても、うっかり足を滑らして転んで、頭の打ちどころが悪かったら死ぬかもしれない。じっとしていても、何かの拍子に建物が崩落して死ぬかもしれない。まして、健康や娯楽のために多くの人が愛好しているスポーツ、自転車、海水浴などの活動は、危険極まりない。

 つまり、生きることは、それ自体が危険と隣り合わせなのである。私たちは日々、危険に囲まれて生活していると言っていい。もちろん、無茶をせずに気をつけることは大事だが、一切の危険性を排除することは不可能だ。

 原発は事故が起こることがある。しかし、何百の原発の中で、大規模な事故が起きたのはチェルノブイリと福島の2カ所だけである。当然、事故が起きる度に技術者は大いに反省するであろうから、次に事故が起きる確率はさらに低くなる。

 これらの日常生活の中の危険と、原発事故で被曝して死ぬ可能性を冷静に比べてみてほしい。どちらが高いだろうか?

電気の供給量の低下は私たちの生活を一変させる


 また、原発は私たちの危ない日常生活を、安定的な電気供給をすることによって、ある程度、安全にしていると言える。なぜなら、原発を廃止すれば、電気供給が不安定になり、それは即、私たちの日常生活を不安に陥れる。9月6日に発生した北海道地震により、北海道中が停電になったことを思い出してほしい。つまり、人間の生活は今より安全になるのではなく、今より危険になるのだ。

 特に日本は、国家のエネルギー安全保障の面から見ても、原子力発電は絶対必要である。日本国内には、今のところ電力需要を火力発電だけでまかなうのに必要な天然資源はない。だから必ず外国からの輸入に依存せざるを得ない。しかも、必要な化石燃料の量が非常に多いので、常に、輸送船に載せた燃料を輸入し続けなればならない。

 それは安全保障の面では、大きな弱点である。一つは燃料の輸出国に依存すれば、その国との外交を行う時に、常に不利な状況に置かれる。そして、万が一輸出国との関係悪化によって、燃料の供給が止まれば、日本は瞬時に、危機的な状況に陥る。これは第二次世界大戦から日本が得た大きな教訓のはずだ。

 もう一つは、仮に輸出国でなくても、強大な隣国と日本が対立関係になってしまったとすれば、化石燃料の輸入に依存している状態は、日本の大きな弱点であると同時に、日本の敵国の有利な状態でもある。敵国は輸送船の妨害活動を強行すれば、日本は瞬時に敗北寸前の状態になってしまうからだ。

 だが、原子力発電に必要な核燃料は、火力発電と比べれば量的には少なくて済む。だから、同じく輸入しても、平時の内に、事前に国内に溜め込むことができる。だから、原子力の場合は、仮に輸入が途絶えたとしても、その前に国内に充分の核燃料を溜めておけば、長期的に発電ができる。そして、以上のような状況を、日本を狙う敵国も事前に予想するである。

 つまり、日本は化石燃料に依存しているという弱点を持っていれば、その弱みを握って、日本を攻撃する誘惑が敵国に生まれるだろう。逆に、日本は原子力で自国のエネルギー需要を賄えているということであれば、敵国にとってつけ入るスキがないので、敵国も日本を攻撃することを諦める可能性も高くなるであろう。だから、原子力とは、国家安全保障や防衛に直接繋がる重要な問題でもあるのだ。

チェルノブイリでは人間がいなくなり自然界が生き返った


 次に、「原子力が環境に悪い」という議論があるが、一部の反原発勢力による現実無視は甚だしい。環境を破壊しているのは、むしろ火力発電、水力発電、太陽光発電などの方である。

 原発事故の後、チェルノブイリ立入禁止区域には人が少なくなった。そのため自然界は生き生きとして、大繁殖している。野生動物の数がかなり増えた。またその地域からいなくなったはずの動物が戻ってきた。今では狼、猪、鹿、熊などがいるという。

 だが、動物への放射線の影響はどうであろうか。立入禁止区域は放射線量が高いので、人間が長年定住すると体にたまる放射線が多くなり、病気になる恐れがある。だから区域内への定住はほとんど禁止されているという説明を、ガイドから受けた。しかし、一時的には人間が来てもまったく問題ない。実際に、区域内では交代制だが何千人も働いている。

 一方、実はほとんどの動物の寿命はおおよそ人間の三分の一から四分の一である。そのため、体にたまった放射線による影響が現れる前に、寿命が尽きてしまう。だから、動物は元気な生活ができるのだ。寧ろ人間がいない分、動物にとっては他の地域よりいい環境であろう(笑)。

火力発電や太陽光発電は存在自体が環境破壊


 しかし火力発電は、地球に限りのある化石燃料を燃やして、エネルギーに換えている。化石資源はいつか地球からなくなる。化石資源は発電所で燃やすよりもずっと有意義な使い方があるので、火力発電は無駄遣いだ。最も大きい問題は、大量な排気ガスによる大気汚染である。火力で発電している限り、常に地球環境は破壊されている。

 水力発電の場合、水を溜めるためにダムを造らなければならない。その際、本来陸だった場所が水の下になってしまい、そこにあった生態系が破壊されてしまう。

 そして太陽光発電という環境の強敵も、日本でも大きな問題である。2011年3月11日に発生した東日本大震災後、当時の民主党の菅直人政権によって導入された太陽光発電の固定価格買取制度で、太陽光発電所が大量に造られた。広い場所が必要なので、森林がたくさん伐採され、それは環境に大きな打撃を与えた。太陽光発電は広い砂漠の地域にしか向いていないので、森林地帯には絶対造ってはいけないものだ。

 それらと比べたら、原発は環境に優しい。核廃棄物を埋葬するために必要な場所は小さくても大丈夫で、環境に影響がない。仮に原発事故が起きたとしても、環境への影響は火力や太陽光と比べると限定的である。環境への影響と人間への影響を混同してはいけないということだ。人間が住めなくても、動物や植物が健康に生きられるのだから。

原発事故処理費より原発の稼働停止による経済的損失の方が大きい


 また、「原発事故の処理に莫大な金がかかる」という議論もあるが、これも出鱈目で、印象操作である。実際は、事故処理に必要な費用は限られている。チェルノブイリの4号機の新安全閉じ込め構造物の建設費は、円に換算すれば約2600億円だ。すべての事故処理費を見込んでも、3、4兆円で充分過ぎるであろう。しかもこの金を一度限り払えば話は終わるのだ。

 しかし、もしすべての原発を止めれば、1年間に負う経済的な損失は、日本だけでも同じく数兆円であり、一度限りの事故処理費の同等以上だ。それが毎年続けば途轍もない損害になる。

 だから、仮に事故が起きるとしても、事故処理費を支払った上で、原発を使い続けたほうが、停止するよりは遥かに安いし、安定的に電気を供給することは人々の日常生活を安定させるのである。

原発は本当にテロの標的になるのか?


 さらに「原発は敵勢力のテロ攻撃の的になる恐れがある」のでやめようという議論もある。だがこれは奇妙な理屈だ。もし、事故処理で本国を困らせることが目的なら、水力発電所のダム破壊のほうが影響が大きいし、水道水に黴菌を撒くほうが効果的であろう。また、大量殺戮を狙うのであれば、人気スポーツの試合の観戦席の爆破を狙うであろう。

 そもそもテロの的になるかもしれないという理由で何かをやめるという理屈で考えれば、すべての公共施設を閉じざるを得ないことになる。どの場所でも、テロの的になる恐れがあるので、キリがない。

 テロの恐れがあるのであれば、やめるのではなく、警備を強化するのだ。近距離のテロに対しては、警備隊を置くべきだ。また、北朝鮮のようにミサイル乱射によるテロに対しては対空防衛力を高めるのみだ。

「脱原発」を叫ぶ「進歩主義者」は実際は“後退”している


 最後に「原発いらない」という一部の日本人の主張について考えてみたい。原発を止めたらどうなるのだろうか。足りないエネルギーを他の発電方法で賄うか、電気使用量を減らすしかない。他の方法で賄えば、先述したように長期的には環境が破壊されて、地球は非常に住みにくい場所になるので、人類の今のような暮らしはできなくなり、場合によって人類は滅亡するかもしれない。

 また電気使用量を減らせば、経済成長や技術発展は難しくなり、経済の停滞はずっと続く。停滞はずっと続くと、文明の衰退が始まり、人類は後退の道を進まざるを得なくなる。

 また原発は発電方法として大事だけではなく、核を扱える技術者の育成を促進しているものでもある。原発を止めたら必然的に核技術者は激減し、核技術も発展しなくなる。それは人類発展の妨げになる。これからは次第に宇宙時代が到来する。人類が宇宙開拓をする時は、核技術は間違いなく必要になる。そのために、今の内に原子力を利用することによって核技術者の育成や核技術の発展を進めるべきである。

 つまり、脱原発を叫ぶ「進歩主義者」を名乗る人たちは、実は猛烈な「後退主義者」なのだ。人類は後退期に入ってはいけない。非科学的な恐怖心に基づき、一時的な安心感を得るだけのために、人類の未来を潰すわけにはいけない。

ウクライナの悲劇を「反原発」主張のネタに使うな


 最後に「脱原発」「反原発」を主張している日本人たちに言っておきたい。まずは自らが文明的な暮らしをやめて、洞窟へ行けばいかがだろうか。この恵まれた豊富な電力が十二分に安定供給されている日本で、私たちから見たら、あなた方の主張にはまったく説得力がない。

 反原発の運動家は、人類の安全や、環境、市民の暮らしについては一切考えていない。自分たちの自己満足や人気取りのために、嘘やありえないことを平気に言っている人達を私は本当に嫌いだ。

 ましてや、私の祖国、ウクライナの悲劇を自分らの反原発プロパガンダに利用しているいい加減な人たちは論外だ。多くの人の死を自分の思想信条を宣伝するためのネタとして利用する人たちを私は絶対に許せない。

 専門知識のない私は、見たことや聞いたことに基づいて判断するしかないのだが、それでも私は確信を持って言うことができる。「原子力発電は人類に絶対必要なものである」と。

【グレンコ・アンドリー】
1987年ウクライナ・キエフ生まれ。2010~11年、早稲田大学へ語学留学で初来日。2013年より京都大学へ留学、修士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程で本居宣長について研究中。京都在住。2016年、アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」懸賞論文学生部門で「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと――真の平和を築くために何が重要なのか」で優秀賞受賞。月刊情報誌 『明日への選択 平成30年10月号』(日本政策研究センター)に「日本人に考えてほしいウクライナの悲劇」が掲載。





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