日本はロシア・ソ連との200年の戦いの歴史を思い出せ

<文/グレンコ・アンドリー『ウクライナ人だから気づいた日本の危機』連載第13回>

ロシアとの平和条約締結に前のめりの日本政府

 安倍晋三首相はロシアとの平和条約締結に向けて来年1月にロシアを訪問し、プーチン大統領と首脳会談を行う予定である。その前に河野太郎外務大臣がモスクワ入りし、ラブロフ外務大臣と会談する方向で調整が行われている。  結論から言えば、筆者はこのような日本政府の対露交渉の方針について、反対である。しかし、このようなロシアに何か期待を抱いているかのような態度は、日本政府だけではないらしい。  筆者は既に6年間日本に住んでおり、その間に多くの日本人と接する機会があった。しかも、そのほとんどは政治や国際情勢などに興味のない、いわゆる「ノンポリ」ではなく、このような問題に比較的に関心のある人たちであった。だから「ノンポリ」と比べると、国際情勢に関する知識はあるはずだ。  しかし、それでも筆者が接した人の多くは、ロシアについて勘違いしていた。ロシアは、多くの日本人が思っているような国ではない。以下、ロシア正体を解説し、日本はロシアとどう接するべきか、提言したいと思う。

ロシアによる日本侵略の歴史

 多くの日本人は、なぜかロシアを友好国と認識しているようだが、それはまったくの誤りである。歴史を見ると、最近200年間、ロシアは日本の敵であり、脅威であったことは明らかである。

ノモンハン事件中の戦闘でソ連軍に鹵獲(ろかく)された日本の九五式軽戦車。(1939年7月)

 記録された最初のロシアによる日本の攻撃は、「文化露寇」である。1806~1807(文化3~4)年にロシア人の部隊が樺太や択捉の日本の居留地を襲撃し、略奪をした。特に大義名分もない、一方的な武力行使であったが、規模が小さかったため、歴史的にはあまり目立った事件ではない。しかし、これはロシアによる日本侵略の前触れであったと言えよう。  次は樺太侵略であった。1853年にロシアは樺太領有を宣言した。しかし、その時点でロシアは、樺太にとっくに日本人が住んでいるということを知っていた。だから領有宣言は他国の領土強奪であることを分かった上での行為であった。  既に1603年から松前藩は樺太を支配しており、日本人がそこに住んでいた。つまりロシアによる領有宣言より250年も前である。ロシアはその後、樺太をロシア領であることを認めるように日本に対して威嚇する。  結局、当時軍事大国のロシアと対峙する力を持っていなかった日本は、樺太・千島交換条約を結ばざるを得ず、樺太を放棄してしまった。「交換条約」とは聞こえがいいが、もちろんこれは交換ではない。交換とはお互いが元々持っていたものを渡し合うことを意味している。しかし、樺太も千島列島も、両方はその時点で日本の領土であった。日本の領土と日本の領土が交換されて、樺太がロシアの領土になった。これ以上おかしい話はないであろう。つまり、ロシアは日本領であった樺太を武力を背景に割譲させたということである。  これはロシアがよく使うやり方である。元々ロシアの権益がどこにもないところへ侵入してきて、権益の存在を主張する。そして、その後「妥協しよう」と言い出して、その権益の半分を相手に認めさせようとする。それは形としては妥協に見えるが、実際はロシアが一方的に利益を得るだけだ。なぜなら本来、そこにはロシアの権益は存在しなかったのだから。  その後、日清戦争の勝利によって、日本は正当に遼東半島を領有したが、三国干渉によって放棄せざるを得なかった。「三国」という形があるが、実際はロシアが首謀した干渉である。ロシアは南下政策をとって、満州における権益拡大を企んでいた。日本が遼東半島を領有すれば、ロシアの南下政策や権益拡大の邪魔になると思い、ロシアは日本に圧力をかけたのである。  その後ロシアはさらに南下政策を続けて、朝鮮半島制圧寸前まで来た。ロシアが朝鮮を制圧すれば、日本の独立も危うくなる。当然ロシアは日本を封じ込めて、最終的に支配下に入れようとしたのであろう。だから、今度こそ日本は存亡をかけて、独立を守るために戦うことにした。  歴史が示すように、日露戦争で日本は見事な勝利を収めた。そのおかげで、日本は独立を守り、当面ロシアが極東で大人しくなった。しかし日本に対する恨みが生まれ、いつか日本に復讐をするという強い執念が、この時ロシア人の心に生まれたのである。

ソ連の誕生

 ロシア革命によってロシア帝国が崩壊し、ソ連が誕生した。このロシア内戦時代に、赤軍による日本人虐殺である「尼港事件」が起きた。この事件で約1000人の日本人が、赤軍によって虐殺された。  ソ連も日本に対して脅威となった。共産主義革命による世界支配を目指すソ連共産党は、日本にも牙を向けた。日本国内で共産主義の工作員は謀略活動をしており、ソ連は対日侵略の準備をしていた。実際スターリンにとって、日本は東アジアの完全支配に邪魔であった。だから潰さなければならなかった。  そのために、スターリンは1936年に蒋介石を捕らえて、日本と戦争する約束をさせて、解放した。さらに1937~1939年の間に、ソ連が起した日ソ国境紛争が頻出した。  しかし、日中戦争や国境紛争だけでは日本を潰せないということを、ソ連は分かった。だから、日本を確実に破壊させる日米戦争を仕掛けた。そして日本をソ連方面で油断させるために、日ソ中立条約を結んだ。日米両国にいたソ連の工作員は戦争を扇動して、工作員に作成されたハルノートが日本に突きつけられた。そして日米戦争が勃発した。日米戦争とは、日本を潰し、日本を侵略する目的でソ連が仕掛けた戦争である。  そして、日本が十分弱くなった時に、ソ連は中立条約を破って日本への軍事侵略を開始した。日本はポツダム宣言を受諾し、正式に降伏する意図を通達しても、ソ連は侵略をやめなかった。日本侵略の際、ソ連は千島列島、南樺太を強奪して、満州国を潰した。満州侵略の際、日本人大虐殺が起き、少なくとも20万以上を虐殺した。さらに、約60万人もの日本人を極寒のシベリアに抑留し、その約1割は過酷な環境で亡くなったのだ。  戦後になっても、ソ連やその崩壊後のロシアは、日中・日米戦争を仕掛けたことや、日本人の大量虐殺を犯したに対して、賠償どころか謝罪すらせずに、現在でも当時のソ連の行為はすべて正当だったと言い張っている。そればかりか、日本の北方領土を侵略し、74年間も不法占領している領土を、今でもロシア領土だと主張している。  以上のように、20世紀に日本が受けた途轍もない被害のすべては、ロシアが元凶である。このような国は、当然日本の敵国であり脅威であろう。それにもかかわらず一部の人は、「過去は過去で、現在は友好関係が築ける」と言っているのだ。 【グレンコ・アンドリー】 1987年ウクライナ・キエフ生まれ。2010~11年、早稲田大学へ語学留学で初来日。2013年より京都大学へ留学、修士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程で本居宣長について研究中。京都在住。2016年、アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」懸賞論文学生部門で「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと――真の平和を築くために何が重要なのか」で優秀賞受賞。月刊情報誌 『明日への選択 平成30年10月号』(日本政策研究センター)に「日本人に考えてほしいウクライナの悲劇」が掲載。
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