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敗戦の焦土の中で生活改善運動をはじめた社会教育家――丸山敏雄の波瀾万丈の生涯
2020年05月31日
敗戦の焦土の中で生活改善運動をはじめた社会教育家――丸山敏雄の波瀾万丈の生涯
山下徹
稀代の教育者・丸山敏雄
戦争に敗れ、国土が焦土と化し、人々の心も荒んでいた戦後日本――。その国難から一人ひとりが立ち上がるために、夫婦の道を説き、短歌を詠み、正しい暮らしを示す生活改善の運動をはじめた社会教育家がいた。 倫理研究所の創立者として知られる丸山敏雄(1892~1951年)は、教育者であり研究者、書家、歌人、思想家でもあった。 この度出版された
『純情(すなお)に生きる 稀代の教育者・丸山敏雄』
(高橋徹著、育鵬社)は、戦後まもなく「新しい倫理」と呼ばれるようになる「生活法則」を生活改善運動の中心に据え、その普及と実践に邁進した丸山敏雄の人生の軌跡である。その一部を紹介したい。
高橋徹著『純情(すなお)に生きる 稀代の教育者・丸山敏雄』(育鵬社)
手本にならない偉人
本書は、戦後まもなく「新しい倫理」あるいは「実験倫理」「純粋倫理」と呼ばれるようになる「生活法則」を生活改善運動の中心に据え、その倫理の普及と実践に邁進したひとりの人物、丸山敏雄(一八九二~一九五一)の生涯を記した。社会教育家で、倫理研究所の創立者としても知られる丸山敏雄は、今から百年ほど前に、六十年弱の生涯を生きた人物である。 たしか筆者が高校二年生のときだったと思う。当時、大学生だった姉から勧められて一冊の伝記を読んだ。少年少女向けに書かれた世界の伝記シリーズの一冊で、『炎の自画像「ゴッホ」』(アラン=オナー著、中崎一夫訳、学習研究社、一九七五)という本だった。小学校上級から中学生に向けて翻訳・出版されたもので、むずかしい漢字など一切なく、たいへん読みやすかった。内容はオランダの画家ゴッホ(フィンセント・ファン・ゴッホ、一八五三~一八九〇)の生涯をたどる形で、彼にまつわる出来事が順序立てて描かれていた。 高校生だった私(以下、主語を私とする)は、この本を読んでひどく感動した。まったく処世術に長けておらず、短気なゴッホは、さまざまな職業を転々として、行く先々で人間関係のトラブルを引き起こしてばかりいたが、それでも彼はいつも自分の気持ちに忠実に行動した。その失敗と挫折ばかりの壮絶な人生に感動して、私もこのように生きたいと思った。 そんなこともあって、別に画家になろうと思ったことはなかったが、スケッチブックにゴッホの自画像を鉛筆で一所懸命に模写した。多数あるゴッホの自画像の中でも、最も激しいタッチで描かれているものを画集の中から選んで、それを鉛筆で真似して描いたのだ。私の描いた鉛筆画は稚拙なものだったが、そこにほとばしる激しさは、当時の私の内面の葛藤や未熟さをそのまま表していた。 それから四十年以上もたって―ごく最近になって―私はこの本を読み直してみた。高校生の自分がいったい、なぜ、この本にあれほどまでに深く感動したのか、その理由を知りたくなったのだ。 そしてわかったのは、本の叙述形式は事実を淡々と述べ、それほど深くゴッホの内面を描写しているものではないにもかかわらず、それを読んだ高校生の私の側にある、ありあまる情熱や欲求不満、また世間というもの、学校というものに対する強烈な反抗心など、自分の中でもてあましていたさまざまな感情の渦やエネルギーが、その伝記に触発されて噴出したから、自分は感動したのではないか、ということだった。 つまり、当時の自分の激しく渦巻く気持ちや衝動が、ゴッホが実際に生きた、その生き方に投影されて、「ゴッホはすごい、自分がこうしたいと思う生き方をすでに生きている」と感じたことが、この感動の原因だと思われた。いわば、この本に描かれたゴッホの姿は、私の当時の内面の状況そのものであり、同時にこのように生きたい、こうありたいという自分の気持ちを具体的に表現してくれるものだったのだ。 この本の訳者あとがきで、訳者の中崎一夫(一九三一~?、本名・田村英之助)氏は、想定される小学校高学年から中学生の読者に向けて、次のように書いている。 <ふつう伝記にでてくる人物といえば、いわゆる「偉人」であって、きみたちの手本になるようなりっぱな人物だろう。だがゴッホは、どうみても、きみの手本になりそうもない。いわば、ゴッホは手本にならない偉人というわけだ。>(同書) しかし、私は高校二年生の時点で、ゴッホが良き手本となった。彼の激しい苦悩と悲劇的とも言えるその人生の道行きに人間としての真実を見た。極端な言い方をすれば、「人は、自分は、このように生きなければならない。そうでなければ、自分はただのクズだ」と、高校生の私は感じた。繰り返しになるが、彼ほどみずからの心に正直に、まっすぐに生きた人間はいない。その人間としての筋の通った生き方を手本にしようと思ったのである。
倫理運動は天与の仕事
本書で描かれる丸山敏雄は、ゴッホとはまるで違って、品行方正かつ行き届いた思いやりを持っており、教育者としての能力や威厳も持ち合わせている。しかし、共通しているのは、父が信仰の篤い者だったこと(敏雄の父は浄土真宗の同行で、ゴッホの父は牧師だった)に加え、まず何よりも己の真実を常に追求し、それを生きたということである。 己の真実とは、自分だけが知る(あるいは知らない)自己の潜在力であり、その可能性を開花させるために、世間に迎合したり、周囲の常識的な価値観に振り回されたりするのではなく、自分に真摯に向き合って、心のひそやかな声を聴き、その情熱や衝動に応じた道を歩むことである。 未来とは先がどうなるかわからない「こと・もの」である。まだ若くて頼りのない自分ではあるもの、それでもそのみすぼらしい自分を信じて進むことで、人真似ではない、自分なりの未来が開かれていく。その進行過程が、それまで可能性にしかすぎなかった己の真実を形づくる。 敏雄にとっての倫理運動は天与の仕事だった。 丸山敏雄と倫理運動の草創期を語るうえで、おそらく最も重要なことは、彼が「最初から望んで倫理運動を起こしたのではない」ということである。敏雄は、戦時中に原耕三から、そして戦後は石毛英三郎から、それぞれ依頼されて、日本という国家の行く末を憂えて、本格的かつ体系的な研究活動をこころざした。そして、それが自然の成り行きの中で、「天命を受けた」という本人の自覚を醸成していったと思われることである。この点は妻のキクも次のように述べている。 <考えてみると、主人ははじめから倫理研究所というような組織を考えていられたわけではなかったと思います。周囲の状況がいつのまにか、こうした社会教化活動に主人を燃えたたせたものと私は思います。 とにかく教団では、個人的に学問をすることはならん、というので、当時持っていた本は全部教団にあげてしまうし、恩給もあげてしまうし、一切をぶちこんでやっていられました。それがあんなふうに時勢の移りかわりのためにつぶされてしまって、主人としては、もう何もわからなくなってしまったと思います。正しいことをしているつもりが、だんだん罪におちた、ということが、非常に残念であったようです。 それで今度は、どういうふうにすれば本当にすじみちの立った、だれからも非難されずに社会に役立つものとすることができるか、ということを、いつも心に持っていられたようでした。 もっとも、これは私の想像で、主人は私にはなにも申しません。ただ書道をやりながら、そして裁判を受けつつ、真に正しいものを天下の人に知らせたいと、努力していられたようです。(中略) もっとも、そのころには、まだ新しい倫理運動をやろうという声は、はっきりはなかったようです。武蔵境に来てから、そういう声が、だれいうとなく出てきたのです。 まだ深沢のころは、「新世会」とか倫理運動とかいうような形式はなくて、ただ主人が家にいるところへみなさんが寄って来られた、というだけのものでした。何をするというのでなく、生活の上で経験したことを打ち明けたり、教えてもらったり、そういう話をしておられたようでした。私はもうお話を聞くよりもお茶を出したりなにかの方がいそがしくて、あまり覚えていません。ただ、それがだんだん朝早くになって、いつも五時ごろに集まって来られるものだから、武蔵境の駅前の交番でびっくりしていたそうです。 そういう気運が、やがて「何かしなくてはならん」というふうになったのではないでしょうか。だから、このお仕事は主人が計画したわけでもなく、天から授かった、自然に与えられた仕事かもしれません。> (『全集』別巻1) 本人が「計画したわけでもなく、天から授かった、自然に与えられた仕事」であるという点がなぜ重要かというと、今の世の中では、最初から本人が望んでことをおこなうことは、結局、あるいは知らず知らずのうちに個人のエゴが主体になってしまうことが多く、普遍的なおこないや広がりのある運動になりにくいからである。一方、自然の流れに乗っておこなわれることは、本人にとっては受動的で「させられている」ように見えても、後に大きな広がりを生み出す可能性がある。
純情(すなお)の道ひとすじにまっすぐ歩きぬいた生涯
敏雄の愛弟子の一人、青山一真は、敏雄の死後、葬式の後の火葬場での出来事を次のように述べている。 <是は余談であるが、先生が亡くなられて、その葬式の後で、火葬場にお骨拾いに行ったとき、そこの係の人が先生の骨をくわしく見て、見も知らぬのに生前の気性、性格を一々あてて驚かされたが、その時「この方は健脚家でしたでしょう」といったのに、度肝を抜かれたことがあった。骨の色を見ると、その人の性格や生活ぶりその他が、みな現われているというのである。> (『丸山敏雄先生の生涯』) 健脚家だった敏雄は、どこに行くにもよく歩いた。その歩きぶりに周囲の人は注目した。何人かの言葉を拾ってみると、次のようなものがある。 <道を歩く丸山青年の様子を思い出しますが、必ず姿勢を正してまっすぐ歩いていかれました。正しく前方に目を向け、腹部にぐっと力を入れた姿でした。私は当時、丸山先生は、『論語』の、「我道一以て貫く」というのを、精神的にも現実の実践の上にも、これを顕現されんことを期しているのだなと、ひそかに感じておりました。>(『全集』別巻1、石丸敬次の回想) <講演会の往復などに敏雄の道を歩く速度は実に早く、一同は小走りに追いかけてゆくようなぐあいで、心身ともに先頭をきって、皆をぐいぐいと引っぱってゆく姿は、まことに壮烈といった感じであった。>(丸山竹秋『丸山敏雄 人と思想』) <天地自然ののりにのって、ゆうゆうと歩いてゆかれた。天地自然ののり、そのもののような先生だった。>(『全集』別巻1、山根謹爾の回想) 本書では年代順に敏雄の人生の足跡を足早に追いかける。長男・竹秋の言葉にもあったように、「敏雄の道を歩く速度は実に早」かった。彼はその生涯を、純情(すなお)の道ひとすじに、まっすぐ歩きぬいた。筆者も含め後世の私たちはただ過去の時の彼方に敏雄の背中を見て、小走りにそのあとを追いかけることしかできない。
【高橋 徹(たかはし・とおる)】
一般社団法人倫理研究所専門研究員。一九五八年東京都生まれ。一九八〇年頃からメキシコのシャーマニズムやアメリカ人の教育評論家J.C.ピアスの教育論に独学で親しむ。二〇〇一年から丸山敏雄および純粋倫理の研究を始め、人間の無意識などを探求している。著書に『戦士の道と純粋倫理』(倫理研究所)等多数。最新刊は
『純情(すなお)に生きる 稀代の教育者・丸山敏雄』
(育鵬社)。
山下徹
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『
純情(すなお)に生きる 稀代の教育者・丸山敏雄
』
戦争に敗れ、国土が焦土と化し、人々の心も荒んでいた戦後日本―― その国難から一人ひとりが立ち上がるために、夫婦の道を説き、短歌を詠み、正しい暮らしを示す生活改善の運動をはじめた社会教育家の波乱万丈の生涯!
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本書は、戦後まもなく「新しい倫理」あるいは「実験倫理」「純粋倫理」と呼ばれるようになる「生活法則」を生活改善運動の中心に据え、その倫理の普及と実践に邁進したひとりの人物、丸山敏雄(一八九二~一九五一)の生涯を記した。社会教育家で、倫理研究所の創立者としても知られる丸山敏雄は、今から百年ほど前に、六十年弱の生涯を生きた人物である。 たしか筆者が高校二年生のときだったと思う。当時、大学生だった姉から勧められて一冊の伝記を読んだ。少年少女向けに書かれた世界の伝記シリーズの一冊で、『炎の自画像「ゴッホ」』(アラン=オナー著、中崎一夫訳、学習研究社、一九七五)という本だった。小学校上級から中学生に向けて翻訳・出版されたもので、むずかしい漢字など一切なく、たいへん読みやすかった。内容はオランダの画家ゴッホ(フィンセント・ファン・ゴッホ、一八五三~一八九〇)の生涯をたどる形で、彼にまつわる出来事が順序立てて描かれていた。 高校生だった私(以下、主語を私とする)は、この本を読んでひどく感動した。まったく処世術に長けておらず、短気なゴッホは、さまざまな職業を転々として、行く先々で人間関係のトラブルを引き起こしてばかりいたが、それでも彼はいつも自分の気持ちに忠実に行動した。その失敗と挫折ばかりの壮絶な人生に感動して、私もこのように生きたいと思った。 そんなこともあって、別に画家になろうと思ったことはなかったが、スケッチブックにゴッホの自画像を鉛筆で一所懸命に模写した。多数あるゴッホの自画像の中でも、最も激しいタッチで描かれているものを画集の中から選んで、それを鉛筆で真似して描いたのだ。私の描いた鉛筆画は稚拙なものだったが、そこにほとばしる激しさは、当時の私の内面の葛藤や未熟さをそのまま表していた。 それから四十年以上もたって―ごく最近になって―私はこの本を読み直してみた。高校生の自分がいったい、なぜ、この本にあれほどまでに深く感動したのか、その理由を知りたくなったのだ。 そしてわかったのは、本の叙述形式は事実を淡々と述べ、それほど深くゴッホの内面を描写しているものではないにもかかわらず、それを読んだ高校生の私の側にある、ありあまる情熱や欲求不満、また世間というもの、学校というものに対する強烈な反抗心など、自分の中でもてあましていたさまざまな感情の渦やエネルギーが、その伝記に触発されて噴出したから、自分は感動したのではないか、ということだった。 つまり、当時の自分の激しく渦巻く気持ちや衝動が、ゴッホが実際に生きた、その生き方に投影されて、「ゴッホはすごい、自分がこうしたいと思う生き方をすでに生きている」と感じたことが、この感動の原因だと思われた。いわば、この本に描かれたゴッホの姿は、私の当時の内面の状況そのものであり、同時にこのように生きたい、こうありたいという自分の気持ちを具体的に表現してくれるものだったのだ。 この本の訳者あとがきで、訳者の中崎一夫(一九三一~?、本名・田村英之助)氏は、想定される小学校高学年から中学生の読者に向けて、次のように書いている。 <ふつう伝記にでてくる人物といえば、いわゆる「偉人」であって、きみたちの手本になるようなりっぱな人物だろう。だがゴッホは、どうみても、きみの手本になりそうもない。いわば、ゴッホは手本にならない偉人というわけだ。>(同書) しかし、私は高校二年生の時点で、ゴッホが良き手本となった。彼の激しい苦悩と悲劇的とも言えるその人生の道行きに人間としての真実を見た。極端な言い方をすれば、「人は、自分は、このように生きなければならない。そうでなければ、自分はただのクズだ」と、高校生の私は感じた。繰り返しになるが、彼ほどみずからの心に正直に、まっすぐに生きた人間はいない。その人間としての筋の通った生き方を手本にしようと思ったのである。倫理運動は天与の仕事
本書で描かれる丸山敏雄は、ゴッホとはまるで違って、品行方正かつ行き届いた思いやりを持っており、教育者としての能力や威厳も持ち合わせている。しかし、共通しているのは、父が信仰の篤い者だったこと(敏雄の父は浄土真宗の同行で、ゴッホの父は牧師だった)に加え、まず何よりも己の真実を常に追求し、それを生きたということである。 己の真実とは、自分だけが知る(あるいは知らない)自己の潜在力であり、その可能性を開花させるために、世間に迎合したり、周囲の常識的な価値観に振り回されたりするのではなく、自分に真摯に向き合って、心のひそやかな声を聴き、その情熱や衝動に応じた道を歩むことである。 未来とは先がどうなるかわからない「こと・もの」である。まだ若くて頼りのない自分ではあるもの、それでもそのみすぼらしい自分を信じて進むことで、人真似ではない、自分なりの未来が開かれていく。その進行過程が、それまで可能性にしかすぎなかった己の真実を形づくる。 敏雄にとっての倫理運動は天与の仕事だった。 丸山敏雄と倫理運動の草創期を語るうえで、おそらく最も重要なことは、彼が「最初から望んで倫理運動を起こしたのではない」ということである。敏雄は、戦時中に原耕三から、そして戦後は石毛英三郎から、それぞれ依頼されて、日本という国家の行く末を憂えて、本格的かつ体系的な研究活動をこころざした。そして、それが自然の成り行きの中で、「天命を受けた」という本人の自覚を醸成していったと思われることである。この点は妻のキクも次のように述べている。 <考えてみると、主人ははじめから倫理研究所というような組織を考えていられたわけではなかったと思います。周囲の状況がいつのまにか、こうした社会教化活動に主人を燃えたたせたものと私は思います。 とにかく教団では、個人的に学問をすることはならん、というので、当時持っていた本は全部教団にあげてしまうし、恩給もあげてしまうし、一切をぶちこんでやっていられました。それがあんなふうに時勢の移りかわりのためにつぶされてしまって、主人としては、もう何もわからなくなってしまったと思います。正しいことをしているつもりが、だんだん罪におちた、ということが、非常に残念であったようです。 それで今度は、どういうふうにすれば本当にすじみちの立った、だれからも非難されずに社会に役立つものとすることができるか、ということを、いつも心に持っていられたようでした。 もっとも、これは私の想像で、主人は私にはなにも申しません。ただ書道をやりながら、そして裁判を受けつつ、真に正しいものを天下の人に知らせたいと、努力していられたようです。(中略) もっとも、そのころには、まだ新しい倫理運動をやろうという声は、はっきりはなかったようです。武蔵境に来てから、そういう声が、だれいうとなく出てきたのです。 まだ深沢のころは、「新世会」とか倫理運動とかいうような形式はなくて、ただ主人が家にいるところへみなさんが寄って来られた、というだけのものでした。何をするというのでなく、生活の上で経験したことを打ち明けたり、教えてもらったり、そういう話をしておられたようでした。私はもうお話を聞くよりもお茶を出したりなにかの方がいそがしくて、あまり覚えていません。ただ、それがだんだん朝早くになって、いつも五時ごろに集まって来られるものだから、武蔵境の駅前の交番でびっくりしていたそうです。 そういう気運が、やがて「何かしなくてはならん」というふうになったのではないでしょうか。だから、このお仕事は主人が計画したわけでもなく、天から授かった、自然に与えられた仕事かもしれません。> (『全集』別巻1) 本人が「計画したわけでもなく、天から授かった、自然に与えられた仕事」であるという点がなぜ重要かというと、今の世の中では、最初から本人が望んでことをおこなうことは、結局、あるいは知らず知らずのうちに個人のエゴが主体になってしまうことが多く、普遍的なおこないや広がりのある運動になりにくいからである。一方、自然の流れに乗っておこなわれることは、本人にとっては受動的で「させられている」ように見えても、後に大きな広がりを生み出す可能性がある。純情(すなお)の道ひとすじにまっすぐ歩きぬいた生涯
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