“伝説の日本人ペア”JBエンジェルス――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第73回
2度めの遠征ではガーデン定期戦(1987年11月24日)にも登場し、“サバイバー・シリーズ”第1回大会(同11月26日=オハイオ州リッチフィールド)にも出場。翌年1月の“ロイヤルランブル”第1回大会ではグラマー・ガールズを下してWWE世界女子タッグ王座を獲得した(1988年1月24日=カナダ・オンタリオ、コップス・アリーナ)。
ツアー中は“日本通”のダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスのブリティッシュ・ブルドッグスが国内線飛行機での移動、遠征先でのレンタカーのシェアリング、ホテルの予約、ジムでのトレーニングといったアメリカのプロレスラーの日常生活をヘルプしてくれた。
カタコトの日本語を話すキッドは、アメリカの食べものがおいしくてあっというまに体重が増加してきたJBに「トーニョービョー(糖尿病)になるぞ」とアドバイスした。試合が終わってホテルにチェックインするとどうしても深夜になってしまうため、JBはレスラー仲間たちといっしょに毎晩のように宅配ピザばかり食べていたという。
アメリカの観客は、ジャンピング・ボム・エンジェルス(空飛ぶ爆弾天使たち)という和製英語のチーム名をちゃんとおぼえてくれた。山崎のセカンドロープからの連発式ミサイルキック、立野の助走つきハイ・ニー(フライング・ニー・アタック)がジャンピング・ボムの代名詞になった。
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