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“伝説の日本人ペア”JBエンジェルス――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第73回

JBエンジェルス

80年代のWWEで一世を風びした“伝説の日本人ペア”といえば山崎五紀&立野記代のJBエンジェルス。アメリカのファンはいまでもJumping Bomb Angelsの華麗なるムーブの数かずをはっきりと記憶にとどめているのだ(写真はWWEのメディア配布用オフィシャル・プレス・キットより)

 ヒデオ・イタミや中邑真輔、あるいはTAJIRIやフナキよりもはるかまえにWWEで一世を風びした日本人スーパースターは山崎五紀&立野記代のJBエンジェルスことジャンピング・ボム・エンジェルスである。

 全日本女子プロレス所属だったJBがアメリカへ長期ツアーに出発したのは1987年(昭和62年)6月。アメリカの大手ケーブルTV局ESPNで全女の試合映像が全米放映されたことがきっかけで、WWEサイドから試合出場のオファーが舞い込んだ。全女とWWEの仲介をつとめたのは“女帝”ファビュラス・ムーラだった。

 1985年(昭和60年)にクラッシュ・ギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)と極悪同盟(ダンプ松本&ブル中野)がニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデン定期戦にゲスト出場したことがあったが、WWEは長期滞在型の日本人女子プロレスラーに長い黒髪、黒い瞳のオリエンタル的なビジュアルを求めた。

 WWEの全米ツアーに合流したJBは、1987年6月から8月までの6週間のスケジュールで全38試合という超過密日程を消化。グラマー・ガールズ(レイラニ・カイ&ジュディ・マーティン)との対戦がハウスショーの定番カードとして人気を集めた。

 全女スタイルのスピーディーな動き、技のレパートリーの豊富さ、ブリッジの体勢からそのまま起き上がってくる体操選手のような柔軟さ、その身体能力がそれまでアメリカの観客が女子プロレスに対して抱いていたイメージ――あるいは偏見――を完全に変えた。

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2度めの遠征では…

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