ビンスの予想を超えた“マッチョマン人気”――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第81回
いっぽう、ホーガンは“レッスルマニア4”を最後に全米サーキットから姿を消し、ジョージア州アトランタで映画『ノー・ホールズ・バード』(邦題『ゴールデン・ボンバー』)の撮影に入った。
映画の撮影期間は4月から8月上旬までの約4カ月間。ホーガンにとってはハリウッド進出の第1弾となるこの映画にWWEは巨額の製作費を投入し、ビンスもエグゼクティブ・プロデューサーとして作品クレジットに名を連ねていた。ビンスもまたホーガンとの“二人三脚スタイル”でハリウッド進出を狙っていた。
ホーガンとビンスがアトランタのスタジオで寝食をともにした4カ月間は、じつはそれから数年後にアメリカじゅうを震撼させることになる“ステロイド裁判”とリンクしていた。
43歳のアマチュア・ボディービルダーだったビンスは、この映画の撮影中にホーガンに勧められアナボリック・ステロイド(筋肉増強剤)を使いはじめたのだという。ビンスがまるでプロレスラーのようなの肉体の持ち主になったのはこのときからだった。アトランタのスタジオにはビンス宛に“ステロイド先生”ジョージ・ザホリアン医師からのフェデラル便が配達されていた――。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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