更新日:2017年11月30日 15:35
スポーツ

メディアを敵にまわしたビンスの誤算――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第106回

「ロイヤル・ランブル91」

「レッスルマニア6」でホーガンを下しWWE世界王者となったアルティメット・ ウォリアーは、伏兵S・スローターに敗れ、あっけなく王座から転落してしまった。 (写真は「ロイヤル・ランブル91」ケーブルTV宣材ポスターより)

 ビンス・マクマホンのオーナー・プロデューサーとしてのキャリア、WWE史に大きなスランプがあるとしたら、それは1991年1月から1992年春にかけての1年数カ月間だろう。  前年4月の“レッスルマニア6”でハルク・ホーガンを下し、WWE世界ヘビー級チャンピオンとなったアルティメット・ウォリアーをホーガンの後継者に育てるプロジェクトはどうやら失敗に終わった。  収容人員10万人超のロサンゼルス・コロシアムでの開催を予定していた3・24“レッスルマニア7”のロケーションが諸事情で1万6000人収容のロサンゼルス・スポーツ・アリーナに変更された。  NBCがWWEとの年間契約を解除し、1985年から約6年間つづいてきた特番シリーズ“サタデーナイト・メインイベント”の放映が打ち切られた。番組がキャンセルになったいちばん大きな理由は視聴率の低下だった。1980年代には平均10パーセント台をずっとキープしていたレーティングが1990年10月の時点で平均6パーセント台まで落ち込んでいた。
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