メディアを敵にまわしたビンスの誤算――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第106回
リング外の大きな事件では、ペンシルベニア州アスレティック・コミッショナー指定のコミッション・ドクターとして1979年からWWEのハウスショーにアテンドしていたジョージ・ザホリアン医師が、医療目的以外でのステロイドの流通・販売の容疑でペンシルベニア州検察当局に逮捕・起訴された。
ザホリアンの“顧客リスト”にはビンス、ホーガン、ロディ・パイパーらをはじめとするWWEスーパースターズの実名が記載されていたため、検察サイドの捜査の手はWWE内部にまでおよんだ。同年7月の初公判をまえにアメリカじゅうのマスメディアがこの“ステロイド疑惑”に飛びついた。
ジム・ハードWCW代表との対立からWCWを退団したリック・フレアーが、1991年7月、WWEに電撃移籍を果たした。しかし、翌8月にはウォリアーとビンスが契約問題で衝突し、WWEは8月28日付でウォリアーの解雇を発表した。
スキャンダルまみれの1年は、1月のPPV“ロイヤルランブル”(1991年1月19日=フロリダ州マイアミ、マイアミ・アリーナ)からはじまった。ウォリアーの“降板”を決断したビンスは、ウォリアーの腰からチャンピオンベルトをひっぺがす“中継ぎ”のチャンピオンにベテランのサージャント・スローターを起用した。
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