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WCW世界王者フレアーがWWE電撃移籍――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第112回

 フレアーのWCW退団(解雇)は、約2年半におよぶハード副社長との“確執ドラマ”の結末だった。TBS(ターナー・ブロードキャスティング・システム)がNWAクロケット・プロを買収し、新団体WCWが発足したのは1988年11月。ハード副社長はTBSにヘッドハンティングされて“プロレス事業部”にやって来た。  “テレビ畑”出身のハード副社長は、WCWをプロレスの興行団体ではなくテレビ番組ととらえていた。リングの上では世界チャンピオン、バックステージではプロデューサー的立場にあったフレアーとハード副社長はあらゆる場面でことごとく衝突をくり返した。  ハード副社長はスティング、レックス・ルーガー、セッド・ビシャスの3人をWCWの新しい主役に抜てきし、監督・主演のフレアーを失脚させるプランを練った。  フレアーとTBS本社は1988年にベース年俸73万ドル&インセンティブ(出来高)の3年契約を結んでいたが、ハード副社長は1991年9月の契約更改をまえにフレアーに対して年俸35万ドルの2年契約(3年めはオプション)という大幅なダウン提示を突きつけた。ハード副社長にとって、42歳のフレアーはギャラの高すぎるタレントだった。  ハード副社長はこの年の7月に開催が決定していたPPV“グレート・アメリカン・バッシュ”でルーガーの腰にWCW世界ヘビー級王座のチャンピオンベルトを巻かせ、既成事実をつくったうえでフレアーをお払い箱にする“青写真”を描いていたとされる。
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計画を察知したフレアーは?
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