ホーガン不在=ブレットとマイケルズの確信――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第127回
WWE世界ヘビー級王座は“レッスルマニア8”でリック・フレアーから“マッチョマン”ランディ・サベージの手に渡ったが、ホーガンと同世代のサベージはどちらかといえばリリーフ・エース的なチャンピオンであることはだれの目にも明らかだった。サベージ対フレアーのリターン・マッチ・シリーズはハウスショーの定番カードではあったが、長編ドラマのストーリーとしてはすでに“賞味期限”が切れていた。
それが“引退”であったか単なる“引退ドラマ”であったかはその後の歴史が証明しているが、“ホーガン不在”という物理的なシチュエーションがWWEの時計の針を動かし、リング上の景色を一変させたことはどうやら現実だった。ファンはまったく新しい世代のスーパースターの誕生を望んでいた。
“ヒットマン”ブレット・ハートはダイナマイト・キッド、ブリティッシュ・ブルドッグ(デイビーボーイ・スミス)、義兄ジム・ナイドハートとともに1984年にカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングからWWEに移籍。ナイドハートとのタッグチーム、ハート・ファウンデーションとしてWWE世界タッグ王座を通算2回獲得したが、1991年にこのチームを解散し、シングルプレーヤーとしての道を歩みはじめていた。
ショーン・マイケルズは1987年、AWAからWWEに移籍。1980年代型のアイドル系タッグチーム、ザ・ロッカーズ(パートナーはマーティー・ジャネッティ)として中堅クラスに定着したが、1991年に“仲間割れ”という形でチームを解散。ヒールのシングルプレーヤーに転向した。
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