ホーガン不在=ブレットとマイケルズの確信――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第127回
この時点でブレットはキャリア15年(34歳=当時)。マイケルズはキャリア8年(26歳=当時)。1990年代のアメリカのプロレス・シーンを代表するスーパースターとなるふたりは、ほぼ時を同じくして、いずれもみずからの意思で“タッグ屋”からシングルプレーヤーへの方向転換を図っていた。
ビンスがホーガンの後継者に指名しようとしたウォリアーとジャスティスは、ふたりとも“ステロイド疑惑”の黒い影をひきずる80年代型の筋肉パフォーマーだった。“外様”のフレアーはすでに43歳(当時)で、ホーガンのライバルだったサベージも40歳(当時)。フレアーもサベージも一般的知名度が高く、観客動員力のあるスーパースターではあったが、動きはじめた時計の針はもう止まらなかった。
“時代”はウォリアーでもジャスティスでもなく、またフレアーでもサベージでもない、いまそこにはいないサムバディ、観客といっしょにまったく新しい長編ドラマを演じてくれるサムバディを求めていた。
ブレットとマイケルズはあるフィーリングを共有していた。それはいつでもどこでもつねに“100点満点”の試合を観客に提供しているという自信、ビンスがボールさえ渡してくれたら、ゴールがどんなに遠くても必ずタッチダウンをしてみせるという確信だった。ふたりの長い闘いはすでにはじまっていた。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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