ブレット・ハートはショートタイツが大嫌い――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第129回
ハルク・ホーガンのいないWWEは、なにがメインディッシュなのかがわかりにくオール・ユー・キャン・イート(食べ放題メニュー)のような空間になった。ビンスは“レッスルマニア8”から“サマースラム”までの四半期をランディ・サベージ対リック・フレアーのWWE世界戦とアルティメット・ウォリアー対セッド・ジャスティスの“2本立て”で乗り切るつもりだったが、ハウスショーの観客動員は“1984体制”の全米進出プラン以後、最低レベルの数字に落ち込んだ。
観客はまったく新しいスーパースターの出現を待ち望んでいた。ビンスがあるときは溺愛し、またあるときは憎悪したウォリアーは、WWEの長編ドラマをずっと観てきた観客にとってはホーガンによく似た、ホーガンではないサムバディでしかなかった。結果的にウォリアーはWWEのリングを“通過”していった。
この年の“サマースラム”(1992年8月29日)のロケーションは、ロンドンのウェンブリー・スタジアムだった。ビンスは“ステロイド疑惑”からはじまった一連のスキャンダルで観客動員が低迷したアメリカ国内のビジネスを“一時停止”し、ヨーロッパ市場の開拓に目を向けていた。
“サマースラム”のメインイベントにはブレット対ブリティッシュ・ブルドッグ(デイビーボーイ・スミス)のシングルマッチがラインナップされた。ビンスはイギリス出身のデイビーボーイをヨーロッパ市場のキーパーソンととらえていた。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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