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“レッスマニア10”ブレット対オーエン――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第150回

レッスルマニア10

ブレット・ハートは“レッスルマニア10”の主役の座を実力行使でゲット。オープニ ング・マッチとメインイベントの2試合に出場した(写真は「レッスルマニア10」オ フィシャルビデオのジャケットより)

 “レッスルマニア10”はニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンに超満員札止めの1万8065人の大観衆を集め、ガーデンに隣接するフェルト・フォーラム劇場ではアリーナに入場できなかった4200人の観客が大スクリーンのクローズド・サーキット上映でこのイベントを生観戦した(1994年3月20日)。  1994年はWWEとWCWの2大メジャー団体による企業戦争が激化の一途をたどった年だった。前年6月にWWEのリングからフェードアウトしたハルク・ホーガンは水面下でWCWとの契約交渉をくり返しながら、これと同時進行でビンス・マクマホンとの話し合いもつづけていた。  ホーガンは“レッスルマニア10”出場をオプションのひとつととらえていたが、ビンスはホーガンとのネゴシエーションを“出口のみえない迷路”と結論づけていた。この年の7月に予定されていたビンスとタイタン・スポーツ社(当時)を被告とした“ステロイド裁判”では、ほかならぬホーガンが検察側の証人として出廷することがウワサされていた。
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ビンスはすでに裁判の準備をしていた
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