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ディーゼルをどうとらえるかで観る側の“プロレス頭脳”が問われる――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第182回(1995年編)

 もちろん、ディーゼルがはじめからスーパースターだったのかというとそういうわけではない。どちらかといえば、ひょんなことからプロレスラーになってしまったタイプだった。本名は――90年代後半にはこちらのほうがはるかにビッグネームになるが――ケビン・ナッシュ。ホームタウンはミシガン州デトロイト郊外のトレントンという町で、ハイスクール時代はバスケットボールで地区MVPに選出されたことがあった。  スポーツ奨学金を取得してテネシー大学に進み、卒業後はNBAのクリーブランド・キャバリアーズにトライアウトした。アメリカ国内に“空き”がないことがわかると、ヨーロッパに渡ってバスケットボールをつづけた。プロレスと出逢ったのはずいぶんあとになってからで、アメリカではこういうケースが意外と多い。  1989年、ジョージア州アトランタのバーでバウンサー(用心棒)として働いていたところをWCWのエグゼクティブだったジム・ハード(当時)にスカウトされた。デビューしたときに最初に与えられたキャラクターは、マスター・ブラスターズというタッグチームの片割れのスティール。顔はペインティング。髪はピンク色のモヒカン刈りにされた。  マスター・ブラスター・スティールのあとは、おとぎの国からやって来たグレート・OZ(オズ)。そのあとは黒髪に革パンツのヴィニー・ベガス。ビジュアル的にはこのときのキャラクターがディーゼルのモチーフになっているが、視覚的には新日本プロレスのリングにも登場した(1991年10月)蛍光グリーンの全身コスチュームのOZほうがインパクトがあった。おとぎの国の魔法使いOZはほんとうになにもできないレスラーだった。  それからしばらくすると、革パンツに黒シェード(サングラス)のヴィニー・ベガスは、ショーン・マイケルズのボディーガードという新キャラクターでWWEの景色にまぎれ込んでいた。それほどネームバリューのある新顔ではなかったし、とびぬけて背が高いこと以外、これといったセールスポイントもなかった。
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ディーゼルの潜在的なプレゼンスを見抜いたのは…
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