ディーゼルをどうとらえるかで観る側の“プロレス頭脳”が問われる――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第182回(1995年編)
ショーンのセコンドとしてリング下につっ立っていたディーゼルをしげしげとながめて、その潜在的なプレゼンス(存在感)を見抜いたのはビンス・マクマホンだった。
蛍光グリーンのOZの姿をどんなに鮮明に記憶していたとしても、あっというまにスーパースターに変身してしまったディーゼルを知っていることにはならない。どんなにたくさんの情報を集めてみても、リング上で起こっていることをしっかりと目撃しなかったら、現在進行形のプロレスをほんとうにわかっていることにはならない。情報はあくまでも情報であって、いま問われている問いに対する答えにはならない。プロレスを観ること、知ること、理解することは、そこでそれをやっている人間を観察する作業である。
ディーゼル=ケビン・ナッシュは、選ばれてスポットライトのなかに立った。ちょっとばかりとうの立ったボブ・バックランドを負かすことはそれほどむずかしいことではなかった。チャンピオンになったことで右手のコブシを天高く突き上げるキメのポーズが生まれ、長い脚でトップロープをひょいとひとまたぎしてリングに入ってくるルーティンがオリジナルの所作となった。
ひとりのプロレスラーが――外側と内側が同時進行で――変化し、スーパースターとしての自我にめざめ、完成品になっていく道のりは、髪を長く伸ばしていくプロセスとよく似ている。よくなったり、悪くなったりしながら、だんだんとコレではないだろうか、という理想の形に近づいていく。ディーゼルのブルネットの髪はまだ伸びはじめたばかりなのである――。
https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
※この連載は月~金で毎日更新されます
文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ