アテテュード序章“ショーン失神事件”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第200回(1995年)
11.20“マンデーナイト・ロウ”リッチモンド大会――全米生中継――のメインイベントは、ショーン・マイケルズ対オーエン・ハートのシングルマッチだった。試合開始から数分後、ショーンがいきなり前のめりに倒れ、リング上で気を失った。
緊急医療チームがかけつけ、心臓マッサージや人工呼吸といった心肺機能への応急処置をおこなったが、ショーンの意識は戻らなかった。ビンス・マクマホン、ゴリラ・モンスーンWWE会長、パット・パターソン副社長らエグゼクティブがリングに上がってきて心配そうにショーンの様子をうかがった。
“ロウ”生中継ワクのラスト7分がこの“事件”の実況で、番組そのものもこのまま終了した。実況トリオのビンス、ジム・ロス、ジェリー“ザ・キング”ローラーの3人は「脳こうそく、あるいは脳の動脈瘤の可能性がある」とコメントした。
ちょうどそのころ、ライバル団体WCWの月曜夜の全米生中継“マンデー・ナイトロ”は、ハルク・ホーガン対スティングの“世紀の初対決”をオンエアしていた。
ホーガンが十八番レッグドロップを外され、ハムストリング(ももの裏の筋肉)を負傷。スティングがホーガンをサソリ固めにとらえ、ホーガンがタップアウトの意思表示をしそうになったところでヒール軍団が乱入。ザ・ジャイント(のちのビッグショー)とランディ・サベージも乱入し、試合は9分32秒、不透明なノーコンテスト裁定に終わった。
“ネバー・シーン・ビフォアnever-seen-before”というキャッチフレーズで大々的なプロモーション展開がおこなわれたホーガン対スティングのシングルマッチがジョージア州メイコンのメイコン・コロシアムに動員した観客数は、予想を大きく下回る6000人だった。この数字はWCWにとっては計算外だった。
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