「人間と動物の違いって何か分かりますか?」――爪切男のタクシー×ハンター【第五話】
事態が一段落してから、一応蕎麦屋の主人に御礼を言いに行った。普通に考えれば命の恩人なのだが、私からビンタチャンスを奪ったA級戦犯でもあるので、私の胸の中に複雑な感情が渦巻いたが、とりあえず頭を下げた。私は紳士だから。
「今回は本当にありがとうございました。助かりました」
「何にも気にすることないよ! 常連さんが危ない目にあってほしくないしね!」
「何か御礼をさせてくれませんか。このままだと申し訳なくて……」
「そんなのいいよ! でも、そうだなぁ……じゃあウチの蕎麦を食べてよ! お兄さん、いつもうどんしか食べないじゃん! うちの蕎麦本当に美味しいからさ!」
「……分かりました。では今度来た時は蕎麦を食べます!」
なんて粋なやり取りがあったのだが、私は、それ以来その蕎麦屋に足を運べなくなった。ビンタチャンスを奪ったことを恨んでいるとか、顔を見せるのが恥ずかしいとかではなく、単純に私は蕎麦が苦手で食べれないからなのだ。
そういう経緯で、あの蕎麦屋に足を運べなくなったことを運転手に話したところ、運転手の顔はみるみる紅潮し、ギズモの顔がヒートギズモの顔になっていた。
「お客さん、私は怒ってますからね」
「すいません、自分でも恩知らずだとは思ってます」
「本当に恩知らずですよ」
「すいません……」
「お客さん、人間と動物の違いって何か分かりますか?」
「……分からないです」
「人間も動物も生きてます。どちらも生きる為に食べ物を食べますよね?」
「はい」
「ただ本能だけで食べるのが動物です。でも人間は新しい食べ物を発見できるし、苦手な食べ物を克服したり、大事な誰かが作ってくれた食べ物を食べることができます」
「……はい」
「人間ならグダグダ言ってないで蕎麦を食べなさい!」
タクシー運転手から叱責を受けた私は、その翌日、久しぶりに恩人の蕎麦屋に足を運び、主人ご自慢の蕎麦を初めて食べた。蕎麦はやっぱり不味かったが残さずたいらげた。そう、私は人間なのだから。女にビンタされると興奮する人間ではあるが。
文/爪 切男
’79年生まれ。会社員。ブログ「小野真弓と今年中にラウンドワンに行きたい」が人気。犬が好き。https://twitter.com/tsumekiriman
イラスト/ポテチ光秀
’85年生まれ。漫画家。「オモコロ」で「有刺鉄線ミカワ」など連載中。鳥が好き。https://twitter.com/pote_mitsu
※さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、その密室での刹那のやりとりから学んだことを綴ってきた当連載『タクシー×ハンター』がついに書籍化。タクシー運転手とのエピソードを大幅にカットし、“新宿で唾を売る女”アスカとの同棲生活を軸にひとつの物語として再構築した青春私小説『死にたい夜にかぎって』が好評発売中
『死にたい夜にかぎって』 もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー! |
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