「キトラ古墳の被葬者は誰?」発掘担当者に聞く
――キトラ古墳や高松塚古墳のある「檜隈(ひのくま)エリア」とは、当時どのような場所だったのでしょうか?
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西光:飛鳥時代には渡来系の東漢氏(やまとのあやうじ)一族の氏寺とされる檜隈寺が建立され、渡来系の人々が住んでいたオンドル(朝鮮半島で普及している床下暖房)のある建物などの遺跡がキトラ古墳周辺で確認されています。
実は、キトラ古墳の石室に描かれている天文図は、高句麗(平壌)や中国(洛陽・長安)の星空であったという説が出されています。これらの条件で考えると、キトラ古墳の被葬者は中国や朝鮮半島にルーツのある人と考えることもできます。
飛鳥(檜隈)の地にお墓を造ることができた人物となると、いったい誰でしょうか。中国や朝鮮半島の思想や文化が反映された石室内の壁画が重要な鍵をにぎっています。そう考えると壁画の存在は被葬者像を考える上で手がかりになると思います。
――ほかの説についてはどうでしょうか?
西光:一方で「王宮の南西側に王族の墓を設ける」という中国の制度に紐づけると、このエリア一体がその陵園にあたるとされています。またこの時代、王権の大事として天文観測が行われてきました。
つまり、キトラ古墳の精緻な天文図を描くことができる知識や技術を有していたのは、限られた階層の人々であったと考えることができます。そうすると、被葬者は皇族(天武天皇の皇子たち)や実務にあたる高位高官が候補にあがってくると思います。
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どの情報を優先するかによって被葬者は異なってくるようだ。古代に活躍した人々のお墓(古墳)や遺跡が千数百年の時を経て目の前にあり、飛鳥時代を体感することができることこそ、明日香村を訪れる最大の魅力だろう。現地に行ってキトラ古墳壁画体験館「四神の館」で学び、被葬者や当時の風景について思いを馳せてみてはどうだろうか。
【西光慎治氏】
大阪府生まれ、明日香村教育委員会文化財課調整員。明日香村教育員会文化財課主任技師を経て2014年から現職。博士(文学)。関西大学非常勤講師。
天文観測を担っていた皇族や高位高官の可能性も!?
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