「キトラ古墳の被葬者は誰?」発掘担当者に聞く
極彩色の壁画で注目され続ける、奈良県明日香村のキトラ古墳。9月24日、その周辺地区が歴史公園としてオープンした。石舞台地区、高松塚周辺地区などを含む「国営飛鳥歴史公園」の第5番目の地区となる。
当日、地元幼稚園児によるわらべ太鼓演奏でスタートした記念式典では、田中良生国土交通副大臣らが挨拶。高取国際高校吹奏楽部によるオープニングコンサートや海獣葡萄鏡作り体験、古代衣装体験など、さまざまなイベントが開催され、多くの人で賑わった。
かつては2013年のキトラ古墳石室一般公開や、翌年の東京国立博物館の「キトラ古墳壁画展」に古墳好き・古代史好きが殺到。いまだに多くの人を魅了するキトラ古墳だが、まだ謎の部分が多いという。
そこで実際にキトラ古墳の発掘調査を担当した、明日香村教育委員会文化財課調整員の西光慎治(さいこう・しんじ)さんに話を伺った。
――キトラ古墳の被葬者が天皇である可能性はありますか?
西光:古墳時代終末期の天皇陵は、一般的に八角形をしていた(八角墳)と考えられています。キトラ古墳は円形(円墳)であることから、その可能性は低いでしょう。
宮内庁によって天皇陵だとされている「天武・持統天皇陵(野口王墓)」は鎌倉時代に盗掘にあっていて「石室内が一面朱に塗られていた」という記録はありますが、キトラ古墳のように四神や天文図などの壁画が存在したとの記録はありません。また他の終末期古墳でも漆喰を塗った古墳はありますが、壁画は描かれていませんでした。
つまり、天皇陵やその他の階層のお墓にも壁画を描く習慣がなかったのでしょう。また、マルコ山古墳はキトラ古墳と同様の石室構造をしていますが、壁画はありませんでした。同じ形態をした古墳でも壁画の有り無しがあり、さらに飛鳥の他の終末期古墳でも壁画が存在しないことからみても石室内に壁画を描くことは主流でなかったことがわかります。
古墳に描かれた天文図は、朝鮮半島・中国大陸の星空だった
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