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1200年以上つづく行事、東大寺「お水取り」とは?

今年で1266回目! 今なお守り続けられている伝統作法

お水取りの行列。深夜2時頃、二月堂での勤行を中断して閼伽井屋へ御香水を汲みに行く

「お水取りが終わると春が来る」と奈良の人々は言う。  「お水取り」とは本来、奈良の東大寺で行われる修二会(しゅにえ)という行事のひとつで、毎年3月12日の深夜(13日の午前2時頃から)に、東大寺二月堂下にある閼伽井屋(あかいや)の井戸から「御香水」と呼ばれる聖水を汲み上げる儀式のこと。しかし現在は、修二会そのものを「お水取り」と言うことが多い。  東大寺の修二会は天平勝宝4年(752年)に始められ、今年で1266回目を迎えたという。これまで一度も途切れることなく続き、「不退の行法」と言われている。3月1~14日の2週間にわたり、万民に代わって11人の「練行衆」と呼ばれる僧侶が1年の罪を十一面観音に悔い、国家安泰や五穀豊穣などを祈り捧げる。 ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1308449

3月12日に灯される籠松明。長さ6mほどの竹の先端に、直径1mの籠状の松明がつく。修二会で使用される松明は、裏方である童子たちによって作られている

 その作法は書物や口伝で受け継がれ、今なお守り続けられている。登廊を上がる練行衆を先導する大きな松明は「お松明」と呼ばれ、無病息災を祈って多くの人が参詣に来る。修二会と言うとこのお松明だけだと思われることが多いが、練行衆や童子(連行衆を補佐する大人)たちは、実は準備期間を入れると約1か月もの間、粛々と行を続けているのだ。

福井県小浜市から聖水を送る「お水送り」は神様の遅刻が由来!?

 お水取りの儀式が行われる10日前の3月2日には、福井県小浜市にある遠敷川の鵜の瀬と呼ばれる河原で「お水送り」の神事が行われる。そこで川に注がれた「御香水」は、10日間をかけて東大寺の閼伽井屋の井戸に届くと言われている。この井戸は「若狭井」とも呼ばれ、天平勝宝4年の修二会に遅れた若狭(今の福井県西部)の遠敷明神が「そのお詫びに……」と、二月堂本尊に供える聖水を湧き出させたという伝承が由来となっている。

お水送りの送水神事。白装束の若狭神宮寺住職が祝詞を読み上げ、鵜の瀬の淵に御香水が注ぎ込まれる

 お水送りの始まりは定かではないが、室町時代の書物には記録が残っている。その後下火となり、地元の人々のみでひっそりと行われていたが、昭和に入り若狭神宮寺の住職が再興させた。神事であるとともに、現在は小浜市の重要な観光行事となっている。
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東大寺で春を迎える儀式を続けていく“誇り”
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