ザ・リングマスターは未完のプロジェクト――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第203回(1995年編)
当時のECWの主力メンバーはサブゥー、レイヴェン、サンドマン、カクタス・ジャック(ミック・フォーリー)、タズ、パブリック・エネミー(ロッコー・ロック&ジョニー・グランジ)といったところで、3週間にいちどのペースで開催されるECWアリーナ定期戦が“カルト現象”を起こしていた。ECWがPPV路線に着手し、WWE、WCWに次ぐ第3団体としてのステータスを手に入れるのはそれから約2年後のことだ。
オースチンはフリーの大物としてECWを“通過”していった。オースチンのケタはずれの潜在能力を見抜いていたヘイメンは、TVインタビューの内容も試合の組み立てもオースチンの自由な発想にゆだねた。
ECWでのサーキットはほんの3カ月足らずだったが、オーチンがイエローのバンダナとイエローのTシャツ姿でハルク・ホーガンのモノマネをするシーンは、1990年代の“隠れたビンテージ映像”としていまも語り草になっている。
WWEがオースチンのために用意していたキャラクターは“ザ・リングマスター”スティーブ・オースチンというものだった。リングマスターとは、読んで字のごとくレスリングのすべてを知り尽くしたリングのマスターというコンセプト。専属マネジャーには“ミリオンダラー・マン”テッド・デビアスがつき、WWEデビューと同時にデビアスの所持品だった豪華なミリオンダラー・ベルトが贈呈された。
この時点でキャリア6年、31歳だったオースチンは、どちらかといえばニックネームをつけにくいタイプのレスラーだった。その独特のリズム感、技と技を連鎖的につなげていくタイミングは天才的といわれていたが、それはあくまでもプロフェッショナルの目でみた場合の評価であって、一般のテレビ視聴者には伝わりづらい“間”と“呼吸”のたぐいだった。リングマスターというキャラクターは、どちらかといえば苦肉の策といってよかった。
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