ザ・リングマスターは未完のプロジェクト――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第203回(1995年編)
オースチンがTVマッチにデビューしたのは12.17PPV“イン・ユア・ハウス5”ハーシー大会の翌日に開催された12.18デラウェア州ニューアーク大会。12月18日(生中継)、1996年1月1日、同1月8日、1月15日の4週オンエア分のタメ撮りがおこなわれたTVテーピングでオースチンは1月8日、1月15日の2週分のTVマッチに出場した。
1月8日オンエア分の“マンデーナイト・ロウ”では、まずマネジャーのT・デビアスがニューカマーとして“ザ・リングマスター”を紹介。1月15日オンエア分では、ルーキー時代のマット・ハーディーをデビアス譲りのミリオンダラー・ドリーム(変形スリーパーホールド)で下した。
翌日、12.19ペンシルベニア州ベスレーム大会でシンディケーション番組“WWEスーパースターズ”の録画収録に登場したオースチンは、同番組1月20日オンエア分でスコット・テイラー(のちのスコッティ・2・ホッティ)を一蹴。2日間の集中TVテーピングで2番組3セグメント、計18分に出演した。
WCW在籍時代にブロンドのストレートだった髪は、短めのクルーカットにモデルチェンジされていたが、リングマスターなるキャラクラーはやはり未完のコンセプトだった。オースチンがやがてトレードマークとなるスキンヘッドに変身するのはさらに3カ月後のことだった。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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