ビンス・マクマホンのいまそこにある危機――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第211回(1996年編)
WCWはプロレス団体(興行会社)というよりはターナー・グループ企業傘下の“プロレス事業部”で、その基本的な業務はあくまでもTBS、TNT(ターナー・ネットワーク・テレビジョン)といったターナー系チャンネルでオンエアするプロレス番組をプロデュースすることだった。
WCWが発足したとき、ターナー本人がビンスの自宅に電話をしてきて「ぼくもレスリング・ビジネスRasslin’businessの仲間になったよ」と伝えたという。
1980年代のWWEの絶対的な主役だったハルク・ホーガンと“マッチョマン”ランディ・サベージが1994年、相次いでWCWに移籍した。ふたりともその契約年俸はWWE在籍時代の3倍とウワサされた。1995年9月、WWEの人気番組“マンデーナイト・ロウ”に対抗してWCWが毎週月曜の同時間帯に新番組“マンデー・ナイトロ”をスタートさせた。
プライムタイム番組“ナイトロ”をオンエアするTNTは、毎週40万ドル以上(約4000万円=当時)の制作費を番組に投下した。WCWのハウスショー興行がどのくらいの有料入場者を動員し、どのくらいの興行収益を計上しているかは親会社にとってはそれほど重要ではなかった。ビンスにとって最大の脅威はWCWのこの“実体”のなさだった。
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