“レッスルマニア12”去る選択VS残る決断――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第223回(1996年編)
当時セミリタイア状態にあり、連続ドラマ上の“設定”としてはWWEコミッショナーという役どころを演じていたパイパーは、ビンス・マクマホンのたっての要望で久しぶりの試合出場を承諾した。しかし、そのパイパーも“レッスルマニア12”から数カ月後にはWCWに活躍の場を求めることになる。
これもいまとなっては信じられないようなエピソードではあるが、当時のパイパーはWWEとはあえて年間契約――契約書にサイン――を交わさず、あくまでもビンス・マクマホンとの“ジェントルメンズ・アグリーメント(紳士の約束)”だけでWWEのスケジュールを消化していたのだという。
全6試合中、第5試合というポジションにラインナップされたジ・アンダーテイカー対ディーゼルのシングルマッチは、アンダーテイカーの“残る決断”とディーゼルの“去る選択”が交錯した不思議な空間だった。
WWEのTVショー“マンデーナイト・ロウ”は番組内ではディーゼルの退団問題についてはなにも正式なアナウンスはしてはいなかったが、マニア層の観客はディーゼル(とラモン)のWCW移籍のニュースをすでに知っていた。
WWEスーパースターズに――ビンスとの人間関係をベースに――“主流派”と“反主流派”の2グループがあるとしたら、アンダーテイカーは前者のリーダー格で、ディーゼルとラモンは後者に属していた。
ディーゼル、ラモン、123キッド(ショーン・ウォルトマン)、ハンター・ハースト・ヘルムスリーとともに“バックステージ派閥”クリックを結成していたショーン・マイケルズは、“レッスルマニア”をまえにビンスとのネゴシエーションでWCW移籍の意思がないことを通達。
ディーゼルとラモン、というよりもケビン・ナッシュとスコット・ホールは“古巣”WCWへの移籍を選択した。“バットマンとロビンの関係”といわれたナッシュとショーンがそれぞれ別べつの道を選んだことで、クリックも事実上の解散に追い込まれた。
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