アンダーテイカーと“通過”していく人びと――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第260回(1997年編)
入場シーンにたっぷりと時間をかけられることができるのがスーパースターのスーパースターたるゆえんではあったが、それが“怪奇派”の宿命なのか、あるいは墓掘り人というキャラクターがどうしてもリングのなかを暗くしてしまうのか、チャンピオンベルトを腰に巻いたアンダーテイカーに対するライブの観客の反応はやや鈍く、試合終了後のフィナーレがどうしてもハッピーエンドにならないという視覚的な欠点を持っていた。
アンダーテイカーは、このときすでに年にいちどの祭典“レッスルマニア”でのシングルマッチに6連勝(1991年の“レッスルマニア7”=ジミー・スヌーカ、1992年の“レッスルマニア8”=ジェーク・ロバーツ、1993年の“レッスルマニア9”=ジャイアント・ゴンザレス、1994年の“レッスルマニア10”=負傷欠場、1995年の“レッスルマニア11”=キングコング・バンディ、1996年の“レッスルマニア12”=ディーゼル、1997年=“レッスルマニア13”=サイコ・セッド)していたが、前人未踏の“大記録”についてはまだ論じられていなかった。
“怪奇派”に年齢はないのかもしれないが、1965年3月24日生まれというプロフィルが正確だとすると1997年の時点では32歳で、現在は51歳。ひじょうにコンディションづくりの上手なアスリートなのだろう。
アンダーテイカーにとってはブレットもショーンも、ストーンコールドも、そしてザ・ロックも“通過”していく人びとということになるのかもしれない。時代が移り変わっても、登場人物の顔ぶれが変わっても、アンダーテイカーだけは最後の最後までそこに立っているのである。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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