更新日:2017年11月30日 14:38
スポーツ

HBKとストーンコールドが急接近?――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第258回(1997年編)

WWEオフィシャル・マガジン1997年1月表紙

左ヒザの故障―手術で長期欠場していたショーン・マイケルズがポスト“レッスルマニア”路線で1997年5月、約4カ月ぶりに戦列復帰。なんと、“ストーンコールド”スティーブ・オースチンとの新コンビでWWE世界タッグ王座を獲得(写真はWWEオフィシャル・マガジン1997年1月表紙より)

 “月曜TVウォーズ”とは1995年9月から2001年3月まで5年6カ月間の長期にわたってつづいたWWEの“マンデーナイト・ロウ”とWCWの“マンデー・ナイトロ”の闘いである。  毎週月曜夜9時から11時までのプライムタイム2時間ワク(WCWは途中、3時間番組に変更)でWWEとライバル団体WCWが同時刻に別べつのチャンネルでプロレス番組をぶつけ合っていた。  “ロウ”と“ナイトロ”のそれぞれの平均視聴率は3~4パーセント台だったから、単純な数値に置き換えればアメリカ国内だけで毎週600万~700万世帯の一般家庭がこの時間帯にテレビのチャンネルをいずれかのプロレス番組を合わせていた計算になる。  1997年はこの“月曜TVウォーズ”がひとつのピークを迎えた時期だったが、番組視聴率では1996年6月からWCW“ナイトロ”がWWE“ロウ”をリードしつづけ、この状況は翌1998年4月までつづくことになる。  WCWはハルク・ホーガン派閥が結成した“新団体”nWoが大ブームとなり、新日本プロレスとの提携ラインから蝶野正洋と武藤敬司がnWoに合流。さらにアメリカ武者修行中だった永田裕志(新日本プロレス)、フリーのウルティモ・ドラゴンら日本人選手もWCW契約選手だったため、当時の日本のファンにとってはWWEよりもWCWのほうがなじみが深かった。
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WWEは番組名を変更
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