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テリー・ファンクの“ワン・モア・ナイトをワン・モア・ナイト”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第265回(1997年編)

 “テリー・ファンク”は、昭和の日本人が想い描くところのグッド・オールド・アメリカン、古き良き時代のカウボーイのイメージどおりのアメリカ人である。アマリロには地平線までつづく緑と、どこまでも広がる青い空と、大きな太陽があって、テンガロンハットをかぶったテリーがいる。 「プロレスらしいプロレスをやって、天国の親父を喜ばせたい」と考えたテリーが手づくり感覚でプロデュースしたのがアマリロのフェアグラウンドでおこなわれた“レッスルフェスト・50イヤーズ・オブ・ファンク”だった(1997年9月11日=テキサス州アマリロ、トライステート・フェア・グラウンド・コロシアム)。  プロレスらしいプロレスをやるからには、プロレスラーらしいプロレスラーたちに集まってもらわなければならない。もちろん、兄ドリー・ファンク・ジュニアがフロリダ州オカーラから飛んできた。  サブゥー、サンドマン、トミー・ドリーマー、シェーン・ダグラス、ロブ・ヴァン・ダム、ババ・レイ・ダッドリー、クリス・キャンディード、ボールズ・マホーニー、そしてポール・EらECWの主力メンバーがフィラデルフィアから大移動してきた。  日本からはハヤブサ、田中将斗、金村キンタロー、新崎人生(みちのくプロレス)らFMWファミリーがかけつけた。  WWEからは“ヒットマン”ブレット・ハートとマンカインド(ミック・フォーリー)がやって来た。メインイベントは、ブレット対テリーのWWE世界ヘビー級選手権。  テリーとブレットは、トシの離れたイトコのような関係なのだという。テリーの父ドリー・シニアとブレットの父スチュー・ハートは無二の親友で、テリーにとってブレットは父親の友だちの息子。NWA世界ヘビー級王者時代のドリーの大ファンだったというブレットは、16歳の夏休みをアマリロの“ボーイズ牧場”で過ごした。
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すっかりオトナになったブレット
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