プロレスファンは悪童タイソンに寛大だった――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第280回(1998年編)
タイソン自身の“プロレス体験”に関しては、タイソンがレフェリーとしてリングに上がるという妥協案でひとまず決着。一部メディアでウワサされていたタイソン対ストーンコールドの“世紀の異種格闘技戦”の可能性は完全に消えた。
やはり、タイソン陣営はあくまでもタイソンの“ボクシング界復帰プラン”をプライオリティーととらえ、WWEとの接触はおたがいにメリットのあるウィン・ウィンのビジネスだからこそ成立した一種のメディア戦略だった。
1966年6月生まれのタイソンは、1998年1月の時点で31歳。ニューヨーク・ニューヨークのブルックリンで育ち、少年院時代に本格的にボクシングをはじめ、1985年に18歳でデビュー。1986年から1987年にかけてWBA、WBC、IBFの3タイトルを獲得して世界ヘビー級王座を統一した。
しかし、プロボクサーとしてのピークは1988年あたりまでで、その後は離婚騒動、自殺未遂事件、近親者との訴訟合戦、傷害事件への関与などの諸問題でトラブルメーカーとしてのイメージが定着してしまった。
1991年に起こしたレイプ事件で懲役6年の有罪判決を受け、翌1992年に収監され、服役中にイスラム教に改宗。3年後の1995年に仮釈放となって戦列に復帰したが、1997年6月にラスベガスで開催されたイベンター・ホリフィールドとの世界タイトルマッチで前代未聞の“噛みつき事件”を起こしてネバダ州体育協会から出場停止処分(事実上のライセンスはく奪)を受けた。
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