才人ミック・フォーリーの“伝説のバンプ”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第293回(1998年編)
フリーの立場でインディー団体を渡り歩いていた時代のフォーリーのリングネームはカクタス・ジャック。類は友を呼ぶということになるのかもしれないが、カクタスは日本とアメリカのハードコア団体、ECWとIWAジャパンでほぼ同時にデスマッチの“カルト教祖”となった。
いまも語り継がれる“キング・オブ・デスマッチ・トーナメント”決勝戦におけるテリー・ファンクとの伝説の大流血戦で、フォーリーは名実ともに“デスマッチ王”の座を手にした(1995年8月20日=川崎球場)。
“心の師”テリーとの関係についてはフォーリーの自伝『ハブ・ア・ナイス・デーHave A Nice Day』に詳しく記されている。
“プロレス先進国ジャパン”での成功はフォーリーをアメリカのインディー・シーンの大物に変身させ、フィラデルフィアのECWアリーナに集まってくるマニア層は、有刺鉄線ロープに体ごと飛び込んでいくフォーリーを宗教的存在として崇めた。
ECWでのカルト人気は、フォーリーが少年時代からあこがれていたWWEのドアをついにこじ開けた。フォーリーのポテンシャルに懐疑的だったビンスは、カクタス・ジャックを“怪奇派”マンカインドに変身させたが、それがカクタス・ジャックであってもマンカインドであってもフォーリーのアーティストとしての表現がクレイジー・バンプであることに変わりはなかった。
WWE内部での発言力を強めていったフォーリーは、マンカインドと同時進行で“サイケ男”ドゥード・ラブという新キャラクターに再変身し、このドゥード・ラブが既製品になった時点でこんどは“多重人格キャラ”としてカクタス・ジャックを再生させた。
アンダーテイカーとの“ヘル・イン・ア・セル”における自殺ダイブは、その後、WWEのTVショーで「絶対にマネしてはいけませんDon’t Try This At Home」のグラフィック映像として使用されるようになった。
トレードマークはクレイジー・バンプでもフォーリーは才人。ビンスは知らず知らずのうちにその頭脳と哲学に惹かれていったのだった。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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