才人ミック・フォーリーの“伝説のバンプ”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第293回(1998年編)
ひとりのプロレスラーのキャリアがある試合における衝撃的なワンシーンによって後世まで語りつがれるケースがまれにあるが、マンカインドことミック・フォーリーのそれはアンダーテイカーとの超大型金網マッチ“ヘル・イン・ア・セル”(1998年6月28日、ペンシルベニア州ピッツバーグ=PPV“キング・オブ・ザ・リング”)でみせた“伝説のバンプ”だった。
その日、フォーリーは公称16フィート(約4.9メートル)の金網のてっぺんからリングサイドのスペイン語実況テーブルにダイレクトに落下し、さらにもういちど金網の天井部分からアンダーテイカーのチョークスラムでリング内に投げ落とされ、画びょうの海のなかをのたうちまわり、試合終了後は用意されたストレッチャー(タンカ)に横たわることなく、みずからの足でしっかりと立ち上がって金網の外に出てきた。
それはメジャーWWEのリングにECWスタイル、あるいは日本のFMWやIWAジャパンに代表されるいわゆるインディーズ系のハードコア・スタイルが持ち込まれた“実験的デスマッチ”で、ビンス・マクマホンとWWEの観客が初めて目撃する禁断のスタントだった。
フォーリーの“作品”のモチーフは、フォーリー自身が1983年10月にニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンで観戦した“スーパーフライ”ジミー・スヌーカ対“マグニフィセント”ドン・ムラコの金網マッチだった。
当時、ニューヨーク州北部のコートランド州立大に通っていたフォーリーは、大学の寮から1日がかりのヒッチハイクでマンハッタンをめざし、やっとのことでたどり着いたガーデンの裏門付近でスキャルパー(ダフ屋)からチケットを買い、アリーナ席でスヌーカが金網の最上段からスーパーフライで宙を舞うシーンを目撃した。
まだ学生だったフォーリーは、スヌーカの“伝説のスーパーフライ”を観てプロレスラーになることを決意した。
無名の新人時代のフォーリーのトレードマークは、クレイジー・バンプと呼ばれる危険な受け身の数かずだった。リングの上でも、場外でも、コンクリートのフロアでも自殺的バンプをとりつづけた。それはボディーとハート、肉体と精神のつながりをフォーリーなりに表現するただひとつの方法で、このクレイージー・バンプはごく当然の結果としてデスマッチ志向へとつながっていった。
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