“サマースラム98”とガーデンの景色――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第297回(1998年編)
“サマースラム”初出場のKAIENTAIは、第2試合で平均身長2メートル超の“怪物ファミリー”オディティーズと4対3の変則タッグマッチで対戦した。
超巨漢マスクマン、ゴルガの正体は大相撲出身のジョン・テンタ(琴天山)で、怪物組のマネジャーはルナ・バション。ジャイアント・シルバはその後、日本で格闘家に転向した。ビンス・マクマホンは、とくべつ大きな3人組ととくべつちいさいジャパニーズ4人組をわざとぶつけた。
ケラガンとシルバが日本人選手をそれぞれふたりずつチョークスラムで投げ捨て、ゴルガがKAIENTAIの4人をまとめてフォールした。フナキは試合後、「ドリフターズのコントみたいな試合になっちゃいましたね」といって笑った。
アメリカで暮らすジャパニーズになったフナキは、テキサス州サンアントニオを生活の場に選んだ。あこがれのショーン・マイケルズからは“サンアントニオ・ブラザー”というありがたい愛称をいただいた。右足首のすぐ上にヘビのタトゥーを彫ったのもこのころだった。
カード編成上は“大関クラス”のポジションにレイアウトされていたロック対トリプルHのラダー・マッチは、この試合がおこなわれた当時よりも、後年、“歴史的な一戦”としてひじょうに高い評価を受けることになる試合だった。
この時点ではロックというニックネームの認知度はまだ低く、“ザ・ゲーム”なるニックネームを持たない時代のトリプルHはロングタイツをはいていた。
1990年代の終わりからミレニアムにかけてのWWEの主役となる両者の一騎打ちは、3年まえの“サマースラム95”でおこなわれたショーン・マイケルズ対レーザー・ラモン(スコット・ホール)の“伝説のラダー・マッチ”のオマージュになっていた。
基本的なポジショニングはD‐ジェネレーションXのボス格であるトリプルHがヒール・テイストのベビーフェースで、ロックはどちらかといえばベビーフェース・テイストのヒールだったが、試合中の展開によってはトリプルHがブーイングを浴び、ピープルズ・エルボーの場面ではロックが大声援を受けた。“世界の8番めの不思議”チャイナがトリプルHのセコンドについていたことも時代の流れを感じさせる。
フィニッシュにつながるラダー上の攻防では、ロックの背後からチャイナが絶妙なタイミングで急所攻撃を決め、ロックが悶絶する間にトリプルHがリングの上空につるされたチャンピオンベルトの捕獲に成功。26分を超す耐久マッチを制しIC王座を奪回した。
トリプルHのナチュラルなヒール性がキラリと光を放ち、それと同時に、ロックの大ベビーフェース路線へのシフトチェンジを予感させた象徴的なラストシーンだった。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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