ライフ

1200年以上つづく行事、東大寺「お水取り」とは?

日本人にとって大事な東大寺で、春を迎える儀式を続けていく“誇り”

修二会が行われる東大寺二月堂。応仁の乱の戦火には焼け残ったが、寛文7年(1667年)のお水取りの最中に焼失。現在の建物は1669年に再建され、2005年に国宝に指定された

 それにしても、お水取りがこれほど長い間続いてきたのはなぜなのだろうか。お水取りを見に来ていた、開創1300年の福通寺(福井県越前町)住職の藤川明宏さんに話を聞いた。藤川さんは福井市立郷土歴史博物館の学芸員でもある。 「時の権力者のバックアップがあったことも理由の一つですが、これだけの古い形式を残すことができたのは、東大寺の方々の並々ならぬ努力があってこそ。長い歴史の中、大仏殿が焼失するなどで危機感を持ち、二月堂の法要をより大切にされたのではないでしょうか。また、東大寺は日本人にとって特に大事なお寺です。そのお寺で春を迎える祭りを行い、後の世に繋げることに“誇り”を持ってきたのでしょう。長い歴史の中で、この行事にかかわってきた人々の深い思いを感じます」

応仁の乱の時代も、大阪大空襲の時も途切れなかった

咒師松明を担ぐ咒師童子。修二会を支える人々と、見守る人々

 大学で文化財学を学び、現在は奈良市内でゲストハウス「琥珀」を経営する境祐希さんもこう語る。 「法会を行う僧侶の方々はもちろんのこと、童子や修二会に関わる方、見学に来る一般の方にとっても、この伝統儀式を繋ぐ一員になること自体が“誇り”で、同時にそれが“祈り”や“救い”になっているのだと思います。応仁の乱の時代や大阪大空襲の時も、311の東日本大震災の時にもお水取りは行われてきました。ただの儀式ではここまで続いてこなかったと思います」(境さん)  藤川さんも境さんも、参加した人々の思いに今年も触れた。幸せを祈る人の思いは深く強い。一度でも参加すると、「お水取り」は来年も再来年も10年後も100年後も、変わらず続くのだと思えてくる。千数百年間、そうした人々の思いで続いてきたのだろう。  そろそろ、奈良に春が来た頃ではなかろうか。 取材・文・撮影/鈴木 麦
1
2
テキスト アフェリエイト
新Cxenseレコメンドウィジェット
おすすめ記事
おすすめ記事
Cxense媒体横断誘導枠
余白
Pianoアノニマスアンケート