更新日:2022年08月25日 09:23
スポーツ

クリス・ベンワー派閥がWWEに電撃移籍――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第323回(2000年編)

 前年1999年10月、WWEからヘッドハンティングされる形でクリエイティブ・ディレクターの役職名でWCWに移籍してきた“放送作家”ビンス・ルッソーが、ブッキング・コミッティ(マッチメーク審議委員会)からの突き上げでそのポジションを凍結された。  コミッティ側は、ルッソーのプロデュースによる“ナイトロ”を「プロレスではないなにか」として猛烈に攻撃した。ルッソーの“失脚プロジェクト”を計画したのはケビン・サリバン、JJ・デュロン、マイク・グラハム、ビル・バンクスらコミッティ委員を兼任するフロントの古株グループだった。  ルッソーを“追放”したあとのクリエイティブ・ディレクターの座を狙っていたサリバンは、ビル・ブッシュWCWエグゼクティブ・バイス・プレジデント(執行副社長)と会談の場を持ち、ルッソーの肩書をディレクターからコミッティ委員に格下げすることに成功した。  ルッソーはルッソーでブッシュ副社長の上司にあたるブラッド・シーガルTBS(WCWの親会社)取締役と接触し、契約内容の履行を求めた。ブッシュ副社長もシーガルTBS取締役もプロレスのことはなにも知らない“背広組”だった。  バックステージの政治的カオスを遮断するようにして“ソウルド・アウト”メインイベントのリングに立ったクリスは、クリップラー・クロスフェースでビシャスからタップアウト勝ちを奪い、ついに黄金の“フレアー・ベルト”をその手中に収めた。  そして、だれも予想していなかった世界王座獲得から24時間後、クリスは団体フロントに退団(契約解除―FA宣言)の意思を伝え、“ナイトロ”の生中継がスタートするまえにアリーナから立ち去った。  WCWは1.17“ナイトロ”(オハイオ州コロンバス)番組内でクリスの“王座ハク奪”をアナウンスしたが、クリスと団体執行部のあいだになにがあったのかは発表されなかった。  WCWサイドがクリス、エディ、マレンコ、サタンのクリス派閥、シェーン・ダグラス、コナン、ビリー・キッドマンら7選手からの退団の申し出に応じ、ブッシュ副社長の署名入りのリリース(契約解除同意書)を作製したのはそれから2日後の1月19日だった。  クリス派閥の4選手(クリス、エディ、マレンコ、サタン)は1月22日、コネティカット州スタンフォードのWWE本社ビルでビンス・マクマホンと契約交渉をおこない、1月25日付でWWEと3年契約を交わした。  契約内容はクリスが年俸40万ドル&インセンティブ(出来高払い)、クリス以外の3選手は年俸25万ドル&歩合制だったとされるが、このときWWEが提示した数字は、前年の1999年にWCWが4選手に対して提示した条件を下回るものだったという。  途中までクリス派閥と行動を共にしていたダグラス、コナン、キッドマンの3選手はブッシュ副社長との“調停会談”でWCW残留―再契約に合意したが、クリスとその仲間たちはあくまでもWWEへの移籍を選択した。
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クリス派閥は“ロウ・イズ・ウォー”ピッツバーグ大会に乱入
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