“金メダル男”カート・アングルはプロレスも天才――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第322回(2000年編)
カート・アングルはあっというまにスーパースターへ変身をとげたエリート・アスリートのなかのエリート・アスリートだった。
1968年、ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。ハイスクール時代からアマチュア・レスリングとフットボールで活躍し、クラリオン大学在学中にはNCAA全米学生選手権2回優勝(1990年、1992年)。
1995年、招待選手としてNFLピッツバーグ・スティーラーズの春季キャンプに参加。同年、FILAレスリング世界選手権優勝(フリースタイル100キロ級)。1996年、アトランタ・オリンピックで金メダル(フリースタイル220ポンド級)を獲得した。
アトランタ・オリンピック終了後、WWEはアングルをスカウトしたが、アングルはこのオファーを断り、ホームタウンのピッツバーグでスポーツキャスターに転身した。
しかし、それから2年後、プロレス転向を決意。ローカル・テレビ局のリポーターという仕事は根っからのアスリートのアングルにとっては退屈だった。
1998年8月、ドリー・ファンクJrからプロ・スタイルのコーチを受けたアングルは、練習開始から4日後にマサチューセッツ州セーラムのインディー団体で“極秘”のデビュー戦をおこない、それから約1年間、テネシーに滞在。
1999年11月、大型ルーキーとして“サバイバー・シリーズ”の大舞台で正式デビューを果たした(1999年11月14日=ミシガン州デトロイト、ジョー・ルイス・アリーナ)。
これまでのレスリング・ビジネスの慣習ではアマレス出身の新人にはほぼ自動的にベビーフェースとしてのポジションが用意されていた。もしも、アングルが1970年代から198年代あたりを生きたプロレスラーだったとしたら、かつてのボブ・バックランドのようなタイプの正統派テクニシャンの道を歩んでいただろう。
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