湖畔の殺人医師Dr.Death――フミ斎藤のプロレス読本#032【全日本プロレスgaijin編エピソード2】
大学を卒業した1982年の夏、ウィリアムスはUSFLのニュージャージー・ジェネラルズにドラフトされた。USFLは老舗NFLの対抗勢力として誕生したばかりの新リーグだったが、発足後、わずか2シーズンで解散。
ウィリアムスはジェネラルズとデンバー・コルツにそれぞれ1シーズンずつ在籍したが、USFLが活動休止した1984年に迷わずプロレスの道を選んだ。
いまでも無性にフットボールがなつかしくなることがある。ウィリアムスにとってはフットボールもレスリングも肉体のぶつかり合いであり、どちらも子どものころから親しんできたスポーツである。
ウィリアムス家のリビングルームの壁にはフットボールとレスリングでもらった表彰状の数かずが飾られている。フットボール時代の思い出はたくさんの友だちとわいわい群れていたことで、レスリングはどちらかといえば自分との闘いの記憶。大学を出たとき、生まれて初めて孤独を感じた。
ひとつちがいの兄ジェフさんとウィリアムスは、オクラホマ大フットボール部のチームメートだった。ジェフさんもフットボール奨学金を取得し、弟よりも1年先にコロラドの実家をあとにした。
ウィリアムス、ジェフさん、そしていちばん上の兄ジェリーさんの3人兄弟はみんな、少年時代からプロフットボール選手になることを夢みた。でも、ジェフさんはIBMのコンピュータ・プログラマーになり、ジェリーさんはペトコ・オイル社のエグゼクティブになった。いまでもスポーツをやっているのはウィリアムスひとりにだけだ。
そのかわり、ジェフさんもジェリーさんもドクター・デスの大ファンになった。ふたりとも、まとまった休みがとれるとウィリアムスに会いにベントンに遊びにきてくれる。
フットボールでもレスリングでも弟にはかなわなかったふたりの兄は、モーターボートや釣りの腕まえでウィリアムスをやり込めようとする。そんなとき、ウィリアムスは笑顔で負けたふりをすることにしている。
家にいるときのウィリアムスは、1日の計画を立てない。湖が一望できるベッドルームから朝早く起きだしたあとは、自宅のジムで2時間くらい汗を流し、家族といっしょにゆっくり食事をして、大きな庭の芝刈りをして、暖炉にくべる薪を切り、あとはボートを湖に出して時間を気にせずにのんびりフィッシングを楽しむ。
魚が釣れても釣れなくても、そんなことはどうでもいい。タミーさんがいて、ストーミーちゃんがいて、犬たちがいて、ネコがいれば、ほかにほしいものはない。
昼間はフットボールとレスリングの練習に明け暮れ、夜は酒場にくり出してはビールをあおって大暴れをしていた学生時代の生活をそれほどなつかしいとは思わない。
ウィリアムスは、故郷コロラドでも学生時代を過ごしたオクラホマでもなく、ルイジアナ州ベントンをホームと呼ぶことにした。気がついたら30代になっていた。
「湖畔の殺人医師ですよDr.Death by the lake」というと、ウィリアムスは不器用な手つきで釣り糸をなおした。(つづく)
※文中敬称略
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ1
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