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不良っぽくて寂しがり屋のエイドリアン――フミ斎藤のプロレス読本#037【特別編アドリアン・アドニスIn Memory of Adrian Adonis】

不良っぽくて寂しがり屋のエイドリアン――フミ斎藤のプロレス読本#037

『フミ斎藤のプロレス読本』#037【特別編】は7月4日が命日のアドリアン・アドニスのメモリアル・ストーリー。1988年7月4日、アドニスはカナダ・ニューファウンドランド島をツアー中、交通事故で帰らぬ人となった。享年34.(Photo Credit:Fumi Saito)

 毎年7月になると、不良っぽさと寂しがり屋が同居したようなあのギョロッとした大きな黒い瞳を思い出す。

 アドリアン・アドニスAdrian Adonisというプロレスラーのことを記憶している人は、もうあまりいないかもしれない。

 アメリカ式の発音はエイドリアン・アダーニス。本名はキース・フランクだったが、本人はエイドリアンと呼ばれることを好んだ。

 ある日、新宿の京王プラザホテルのロビーからエイドリアンが泊まっていた部屋に電話をかけて「キース、いますか?」とたずねたら、いきなり「だれだ、テメー!Who the fuck are you?」と怒鳴り散らされたことがあった。

 エイドリアンは、イタリア半島と旧ユーゴスラビアに囲まれたアドリア海の生まれを表す愛称。アダーニスはギリシャ神話の登場人物のひとりで、愛と美の神アフロディティに愛されたが、イノシシの牙にかかって死んだ美少年の名である。

 ほんとうの生まれはニューヨークのアッパーステートだったらしいが、イタリア系の血を強調するためにそれらしいリングネームを名乗った。

 よくイタリア人は太りやすいといわれているけれど、エイドリアンも例外ではなかった。よく動けたし、レスリングのテクニックがあって、試合のかけひきもうまくて、しゃあしゃあとして強かったが、ちょっと油断をするとすぐに太ってしまうタチだった。

 いつも「オレはそんなに食わない」といいながら、朝っぱらからイングリッシュマフィンの上に卵と大きなハムとクリームチーズとチェダーチーズがたっぷりと乗っかったエッグス・ベネディクトを3つもたいらげていた。

 不良っぽさと気まぐれな性格のせいか、エイドリアンのレスラー生活はアップ・ダウンの連続だった。1974年にブリティッシュコロンビアでデビューし、ワシントン、オレゴン、サンフランシスコ、ロサンゼルスと西海岸エリアを南下していった。

 テキサスをかすってAWAに北上し、ここでジェシー・ベンチュラとのコンビ、イースト・ウエスト・コネクションでAWA世界タッグ王者となって、ひのき舞台ニューヨークのWWEからお声がかかった。

 初めて新日本プロレスのリングに上がったのもこのころだった。おそらく、プロレスラーとしては実力的にもメンタルな部分でもピークにあったのはこの時期だったのだろう。“NY”の頭文字が背中にプリントされた黒のライダース系の革ジャンがトレードマークだった。

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「デカい家を建てたから写真を撮りにこい」

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