不良っぽくて寂しがり屋のエイドリアン――フミ斎藤のプロレス読本#037【特別編アドリアン・アドニスIn Memory of Adrian Adonis】
それからしばらくすると、エイドリアンはぱったりと日本に来なくなってしまった。専属契約を交わしたWWEでは、暴走族スタイルの革ジャンをやめてゲイ・キャラクターを演じた。
ピンクやパープルのタイツに厚化粧といういでたちでリングに上がるようになり、ダークブラウンだった髪もブロンドに染めていた。そして、ウェートが増えていつのまにか巨漢レスラーの仲間入りをしていた。
WWEのワクにはめ込まれ“ひと山いくら”のスーパースターにされたエイドリアンは、心ここにあらずのプロレスをなんとなくつづけていた。ツアー日程が長く、ほとんど家に帰れないような状況のなかで――お金はかなり稼いでいたけれど――毎晩のようにドラッグを使うようになっていった。
それでも、それから3年ほどしてから新日本プロレスのリングに帰ってきたエイドリアンは、髪をナチュラルな色に戻し、“NY”の黒の革ジャンをちゃんと着ていた。まだだいぶ太っていたが、しきりにダイエットの計画を口にしていた。
プロレスそのものに対してもシンシアな気持ちを取り戻しつつあった。でも、34歳になったエイドリアンの顔からは不良っぽさは消え、すっかり寂しがり屋になっていた。
「ちいさなテリトリーをまわってみようかと思うんだ」と話していたエイドリアンは、久しぶりの日本遠征のあと、カナダのニューファウンドランド島のサマー・ツアーに出かけていった。
1988年7月4日。アメリカ合衆国独立記念日の夜、エイドリアンと3人のレスラー仲間を乗せたヴァンは、くねくねと折れ曲がった登り坂の山道で、脇道から飛び出してきた大鹿を避けようとして急ハンドルを切り、そのままガードレールを突き破って数10メートル下の湖に投げ出された。
ドライバーシートからの視界は、深夜まで沈まない夏の太陽の逆光に入っていた。
ギリシャ神話のアダーニスはイノシシの牙だったが、プロレスラーのエイドリアン・アダーニスは大鹿ムースにやられた。
イタリア系ニューヨーカーのエイドリアンは“7月4日に生まれて”ではなく、7月4日に天国へ旅立ってしまった。いろいろあったけれど、またプロレスをエンジョイしはじめたところだったのに。God Bless His Soul.
※文中敬称略
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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