更新日:2022年08月31日 00:50
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LINEはもちろんスマホもケータイもない80年代はどうやって待ち合わせしてた?

石原:デートの約束をするにも、固定電話(※1)か直談判だったので、事前に待ち合わせ場所を綿密に決めないといけなかった。お互いの勘違いとかで最悪、出会えないケース(※2)もあったりしてなかなか大変でした。 マイケル:僕らは、仲間内で週末は赤プリのスイート(※3)を押さえていたから、最後はいつもそこだった。今でいう合コンなのかな? 俳優仲間やアイドルたちとチームを組んでたね。まずはご飯を食べて、カラオケ(※4)に行ってからの赤プリスイートコース。 ゴメス:口当たりがいいからと、スクリュードライバーなんかを女のコに飲ませて、酔わせちゃったりとか? マイケル:僕の場合はロングアイランドアイスティー。カクテルなんだけどアイスティーって言うぐらいだから、お酒をあんまり感じさせずに口当たりもいい。でも、ベースはアルコール度数が高いリキュールだったりするから、知らない間に酔っちゃう。 石原:覚えておきます(笑)。ところで、女性メンバーはどんな感じだったんですか? マイケル:たいがいはメンズの持ち回りで、毎週違っていた。「今週は僕が仕切りますんで、来週はお願いします」と。 ゴメス:夢のような日々でしたね……。 (※1)固定電話 親が厳しかったり、歯の浮くようなセリフを家族に聞かれるのが恥ずかしかったりする男は、自宅の固定電話からは電話せず、近所の公衆電話まで遠征していた (※2)お互いの勘違いとかで最悪、出会えないケース 女性側が恣意的にすっぽかすケースも多々あった (※3)赤プリのスイート 建築家・丹下健三が設計した40階建て全761室の大型ホテル・赤坂プリンスホテルの新館は当時、芸能人やスポーツ選手が結婚披露宴を行ったこともあり、憧れのホテルとして大人気に。約120あったといわれるスイートルームは、クリスマスシーズンともなれば満室状態。スイートルームから先に予約が埋まっていったといわれる (※4)カラオケ マイケルさんの場合、大手カラオケチェーンではなく飯倉やギロッポン(六本木)のはずれとかにある、ギョーカイ人の隠れ家的なカラオケボックスのことを指す 【マイケル富岡】 1961年米国ニューヨークでアメリカ人の父と日本人の母の間に生まれる。ハイスクールの頃から、モデルとして活動。1985年「MTV」のVJに起用される。音楽分野のほか多くのバラエティ番組で活躍する一方、NHK大河ドラマ『信長』に明智光秀役で出演するなどマルチタレントとしても活動。イベント司会など広い分野で活躍する 【山田ゴメス】 1962年大阪府生まれ。ライター&イラストレーター。画材屋勤務を経てフリーランスに。エロからファッション、音楽、美術評論まで精通。『日刊SPA!』でゴメス記者として多視的なコラムを配信中。著書に『「若い人と話が合わない」と思ったら読む本』(日本実業出版社)、『クレヨンしんちゃん たのしいお仕事図鑑』(双葉社) 【石原壮一郎】 1963年三重県生まれ。コラムニスト。月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』でデビュー。『大人の女養成講座』『大人力検定』『大人の合コン力』などなど、大人をテーマにした著書を多く発表し、メディアで活躍。日本の大人シーンを牽引している。「伊勢うどん大使」「松阪市ブランド大使」も務める 構成/80’s青春男大百科編集部 撮影/林紘輝(本誌) ヘアメイク/久野友子
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マイケル富岡、向谷実ほか80年代を象徴する人物たちの貴重な証言。さらにはカルチャー、アイテム、ガジェットで、世の中がバブル景気に突入する直前のあの時代を振り返る!

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