“ヒットマン”ブレット・ハートの怒り――フミ斎藤のプロレス読本#065【WWEマニア・ツアー編エピソード5】
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激しい怒りを抱えていたのはメドゥーサだけではなかった。“ヒットマン”ブレット・ハートもまた、やり場のない憤りを感じていた。
ツアー最終日の月寒グリーンドーム公演は、またしても興行的には失敗に終わった。横浜、名古屋、大阪、札幌の4都市のなかで観客動員は最低だった。
札幌公演のメインイベントは、ブレット対ヨコヅナのWWE世界ヘビー級選手権。大相撲でいえば“千秋楽・結びの一番”というやつである。
この顔合わせはニューヨーク・ニューヨークのドル箱カードで、WWEが年にいちど開催するスーパーイベント“レッスルマニア”では2年連続でメインイベントにラインナップされたほどのグレートの高いタイトルマッチである。
ブレットは、日常的に1万人、2万人の大観衆のまえで試合をすることに慣れている。そして、メジャーリーグWWEの世界チャンピオンこそがプロレス界の頂点なのだという意識を強く持っている。
“マニア・ツアー”がうまくいかなかった責任は自分にあるのではないか。ブレットは真剣に悩んだ。
きまじめはブレットは、子分の“キッド”ウォルトマンを連れて午前2時過ぎにビガロの部屋を訪問した。非公式の緊急ミーティングを開くためだ。
日本のマーケット事情については、だれよりもビガロが詳しいにちがいないという判断からだ。ブレットにしてみれば納得いかないことだらけだった。
すっかりリラックス・モードのビガロは、スウェットシャツに短パン姿でビールをラッパ飲みしていた。CDプレーヤーにミニ・スピーカーをつなげ、ボリュームをいっぱいに上げて、きょう買ってきたばかりだという“ピーター・フランプトン・ライブ”を聴いていた。
「このアルバム、中坊のころよく聴いたなあ。あ、ビール飲む?」
どうもビジネスのはなしができるような雰囲気ではない。ビガロは大好きな曲だという“ショー・ミー・ザ・ウェイShow Me The Way”を何度も何度もリピートでかけつづけた。
ブレットとビガロはつい3日まえ、チャンピオンベルトを賭けて闘ったばかりだ。おたがいにプロレスラーとしては尊敬し合っているから、試合が終わればちゃんとシェイクハンドができる関係だ。
でも、ビガロはちょっとばかりベロンベロンになり過ぎていた。
「なあ、ビールいるか? 冷蔵庫に入ってるから勝手にとってくれ」
ビガロがまたピーター・フランプトンのはなしをはじめた。風呂あがりのビールですっかり気持ちよくなったビガロは饒舌になっていた。
生まれたばかりの次男コールテンのこと。愛車ハーレー・ダビッドソンのこと。10代のころ“入隊”していたバイカー・ギャングのこと。ハワイで再会できるかもしれない、いちどだけ会ったことのあるきれいな黒髪の女性のこと……。
友だちとおしゃべりをしながら、自然にストレスを抜いていくスキルはプロレスラーとしてのひとつの資質、あるいは才能なのかもしれない。
「じゃあ、ビールもらうよ」
いつのまにか、ブレットもすっかりリラックスしていた。ビガロのはなしを聞いているうちに、なんだか元気になってきた。
「あしたの朝、何時だっけ?」
「6時半、ロビーに集合」とビガロが答えた。
「洗面用具をトイレに忘れていっちゃう人が多いので注意」
いちばん年下のショーンがしめくくった。やわらかい沈黙を、なつかしい音楽がやさしく包みこんだ。
翌朝、総勢40人の大家族は、札幌・千歳空港から名古屋経由でグアムへ飛んだ。ビーチ・サンダルは、向こうに着いてから買うつもりらしい。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ1
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