ハイスタ活動休止、ハスキング・ビー解散でピリオドが打たれた90年代「AIR JAM系」を振り返る
’00年代中盤、休止中のハイスタからは各自のソロ活動がスタート。またいつか復活すると信じていたファンの期待は打ち砕かれる。
また、この頃にはパンクブームを牽引したバンドの解散も相次いだ。特にメロディック・パンクの代表格として人気を集めたハスキング・ビーが解散した’05年以降は、’90年代のパンクバンドを「AIR JAM系」と呼んだ時代に、完全にピリオドが打たれた。
’00年代も後半に入れば、二匹目のドジョウを狙えとばかりに盛り上がっていたインディーズ・ブームも、すっかり消えていた。もっともパンクシーン自体が消えたわけではないし、エルレガーデンや10-FEETのように次世代の若者を虜にする才能も登場してはいたが、似ていないのになぜか連帯感がある、そんな’90年代の空気と勢いが戻ることはなかった。気がつくと「ライブハウスよりフェス」という空気が広まるなか、パンク好きのバイブルとして愛読されていた音楽雑誌『DOLL』が休刊。’09年のことである。
<知らない人はまずここから!! ’00年代アルバム3選>
●ハスキング・ビー 『the steady-state theory』
’90年代にハイスタの弟分として登場した4人組。日本語詞やエイトビートを取り入れ、完全なオリジナルに進化した4作目
●Ken Yokoyama 『The Cost Of My Freedum』
ハイスタのギタリストが「ここからは一人で行く」と宣言したソロ第1弾。メロディックな名曲が多いだけにファンは複雑
●エルレガーデン 『RIOT ON THE GRILL』
AIR JAMシーンとはまったく別のところから現れた新世代パンクの代表格。より洗練された技術と歌メロで若者を虜にした
【ハスキング・ビー】
’94年結成。洋楽志向のバンドが多い中で日本語詞をいち早く取り入れ、’00年前後は「メロコア」の代表格として絶大な人気を誇った。’05年に解散するも、’12年に新メンバーを加えて再結成。
取材・文/石井恵梨子 秋山純一郎(本誌)、撮影/三吉ツカサ
― あの[’90年代パンクブーム]に舞え! ―
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