デイビーボーイ・スミス 生き方が不器用だった力持ち――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第55話>
スミスはその後、WWEを解雇―再契約―退団、ライバル団体WCWへの電撃移籍―解雇とレスリング・ビジネスの“政治面”にほんろうされた。
首の故障、ステロイド、鎮痛剤、精神安定剤などの過剰摂取が原因とされた内臓疾患で入退院をくり返し、WWEへの“再就職”のドアを開けてくれた義弟オーエンはリング上で不慮の事故死をとげた。そして、ダイアナとの17年間の結婚生活に終止符が打たれた。
その日、スミスはブリティッシュ・コロンビアにバケーションに来ていた。
ホテルのスィートで昼寝をしていたスミスを起こしにいったガールフレンドのアンドレア・ホート(ブルース・ハートの前妻)が帰らぬ人となったスミスを発見した。
スミスは、デビューしたばかりの息子ハリー(デイビーボーイ・スミス・ジュニア)といつかタッグを組んで試合をすることを夢みていたという。
●PROFILE:デイビーボーイ・スミスDavey Boy Smith
1962年11月27日、イギリス・マンチェスター生まれ。カナダ・カルガリーで活躍後、新日本プロレス、全日本プロレス、WWE、WCWと日米のメジャー団体を渡り歩いた。ダイナマイト・キッドとの名コンビ、ブロティッシュ・ブルドッグスを解散後、シングルプレーヤーに転向。ハート家の四女ダイアナと結婚し、離婚。2002年5月17日、心臓発作で急死。享年39。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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