ランディ・サベージ マッチョマンの孤独――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第66話>
サベージは引退宣言をせずにWCWのリングからフェードアウトし、そのままレスリング・シーンの表舞台から消えた。
その後、映画『スパイダーマン』に出演し、ラップ・ミュージックのCDをリリース。2004年には新団体TNAでカムバックした。
最後にその“動画”がWWEのTVショーに登場したのは2010年にリリースされたビデオゲーム“WWEオールスターズ”のCMだったが、ついにサベージ自身が古巣WWEのリングに上がることはなかった。
2011年5月20日、自宅のあるフロリダ州セミノールの州道694号線を自家用車のジープ・ラングラーで走行中、心臓発作を起こし、車両は中央分離帯を乗り越えて反対車線の州道東側のレーン沿いの木に激突。
サベージはすぐにかけつけた救急車で近くのラーゴ・メディカル・センターに搬送されたが、病院で死亡が確認された。58歳だった。
死因は交通事故のケガによるものではなく、司法解剖の結果、アテローム血栓性心臓発作と診断された。
同乗していた妻のバーバラ・リン・ポッフォさんは奇跡的に軽症だった。サベージとバーバラさんは高校時代の同級生で、数年まえに再会して交際をスタート。事故の起きたこの日が結婚1周年記念日だったのだという。
WWEは2014年、サベージの生涯を描いたドキュメンタリーDVD“マッチョマン・ザ・ランディ・サベージ・ストーリー”をリリースした。
2015年には故人としてWWEホール・オブ・フェーム殿堂入り。授賞セレモニーではインダクターとしてホーガン、インダクティーとして弟(元プロレスラー)の“リーピング”ラニー・ポッフォが登壇した。
●PROFILE:ランディ・サベージ“Macho Man”Randy Savage
1952年年11月15日、イリノイ州ダウナーグローブ出身。父親は“腹筋記録”でギネスブック入りしたアンジェロ・ポッフォ。弟ラニー・ポッフォもレスラー。マイナーリーグ球団サラソタ・カージナルズ在籍後、1973年に父アンジェロとザ・シークのアドバイスでプロレス転向。得意技はトップロープからのダイビング・エルボードロップ。WWE世界ヘビー級王座(2回)、WCW世界ヘビー級王座(4回)を保持。2011年5月20日、フロリダ州セミノールのハイウェイを自動車で走行中に心臓発作(アテローム血栓性心臓発作)を起こし死去。58歳だった。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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