クリス・ジェリコ ロックンロール・レスラー――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第95話>
プロレスでも音楽でもいちばん大切なのは“ハウ・トゥ・コネクト・ウィズ・ピープルHow to connect with people(人びとつながること、結びつくこと)”というのがジェリコの持論である。
“やり尽くし感”“燃え尽き症候群”に襲われて、WWEのリングから消えたことがあった。そのときに初めての自叙伝『ライオンズ・テールA Lion’s Tale:Around The World in Spandex』を書いた。
少年時代からプロレスとの出逢い、無名のルーキー時代からメキシコ、日本、ECW、WCWでのエピソードをつづった“20代のクリス・ジェリコ”のストーリーだった。
その続編『アンディスピューテッドUndisputed』では前作よりもパーソナルなタッチで“30代のクリス・ジェリコ”の心のなかを描いた。
『アンディスピューテッド』の舞台は、ジェリコが初めてWWEのリングに登場した1999年から2005年の退団、2007年11月のリング復帰までの9年間。
第1章から第47章まで全425ページを――ゴーストライターを使わず――みずから執筆した。
両親の離婚、母ロレッタ・ビビアン・アーバインさんが交通事故で四肢マヒになったこと、そして母の死。すぐそこにある現実的なサミシングとしてジェリコは“死”というテーマ――第46章はクリス・ベンワーについて――と格闘した。
「ステイ・レレバントStay relevant、そしてリインベント・ユアセルフReinvent yourself」とジェリコは力説する。
ステイ・レレバントとは、社会的な適合性・妥当性を保つこと、当面の問題との密接な関係を保つこと。プロレスラーとして現在進行形でありつづけること。
リインベント・ユアセルフは自分(その人、その人のキャラクター)を再発明、再構築する、といったニュアンスなのだろう。
40代になったジェリコは“Y2J”のキャラクターを捨て去り、ブロンドのロングヘアを短くカットして、キラキラのスパンコールが散りばめられたロングタイツをショートタイツに変えた。
プロレスを追い求めたときも、音楽の道を探ったときも、ジェリコはいつも自分のなかの“内なる声”に耳を傾けてきた。
プロレスラーとしてもロッカーとしてももっとベターでビガーになりたいと考えること。本を書くこと。演劇の勉強をすること。そして、よき夫であり、よき父親でありつづけること。
そういうエトセトラ、エトセトラがジェリコのなかではレレバントな物語としてつながっている。いままでも、これからも、ずっとずっと――。
●PROFILE:クリス・ジェリコChris Jericho
1970年11月9日、ニューヨーク生まれのカナダ・ウィニペグ育ち。本名クリス・アーバイン。1990年10月、カルガリーでデビュー。NWA世界ミドル級王座、WARインター・ジュニア王座、ECW・TV王座など獲得。WCW世界クルーザー級王座通算4回保持。1999年、WWEと専属契約。インターコンチネンタル王座通算9回保持。WWE・USヘビー級王座、WWEヨーロピアン王座、WWEハードコア王座、WWE世界タッグ王座を獲得してグランドスラム達成。2001年12月、ストーンコールドとロックを下して“初代”WWE&WCW統一世界王者となった。得意技はウォールズ・オブ・ジェリコ、コード・ブレーカー、ライオン・サルトなど。2018年1月、フリーエージェントとして新日本プロレスの東京ドーム大会に出場。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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